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お山にお宮がたちました

四国八十八箇所お遍路 第五十二番札所 太山寺

第52番札所太山寺の門は4つあり、一の門から本堂までは0.8kmあります。仁王門の先に駐車場と納経所があるのですが、そこから緩やかな坂道を登り、民家を横目に本堂に向かって歩きます。

およそ200m以上の参道を歩き、鳥居があり石仏群にてお詣りをし、やっと山門が見えてきます。ここから階段を上がります。


御本尊 十一面観世音菩薩
本尊真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし

やっと辿り着きました。


山門はとても荘厳な感じです。

開基とされる真野長者、その長者が一夜にして御堂を建てたという縁起は興味深い。
長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚、いらい運が開けて大富豪となった。用明2年(587)、商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、高浜の岸で救われた。この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がった。いらい「一夜建立の御堂」と伝えられている。紹介HPより

山門をくぐります。




太山寺の現在の本堂は鎌倉時代の1305年に再建されたもので、愛媛県下の木造建築物では最大、真言密教の本堂としても最大級で、国宝に指定されているようです。

摩尼車があり、如意宝珠ともいわれ意のままに宝を出す珠のようです。
一回回すとお経を一巻唱えたのと同じ功徳があるとか。
まわしてみました!

大師堂は本堂から少し階段で上がった高台にありました。


大師堂に向かいます。




大師堂の横に、真野長者を祀る長者堂が並びます。

真野長者伝説によると、幼少の頃は炭焼きの小五郎と呼ばれていました。顔全体に黒いあざがある玉津姫が都にいましたが、神のお告げに従い豊後に住む小五郎の許へ行き夫婦になります。
あることから手に入れた黄金で富を得て、多くの貢仏を天皇に献上し欽明天皇より「長者」の号を賜り、「真野の長者」と呼ばれます。
子どもの般若姫は都より忍びで来ていた後の用明天皇と結婚し女の子を授かりますが、長者夫婦の跡継ぎとして残し般若姫は都に戻る途中(山口県)病で死にます。
真野長者は太山寺(伊予)や般若寺(周防)など多くの寺院を建立し、推古天皇14年97歳でこの世を去ります。

こちらが長者堂です。



本堂右手に、護摩堂・稲荷堂・聖徳太子堂など数多くの堂が並びます。
聖徳太子堂です。




本堂から見た山門です。



帰りは緩やかな坂道を降って降りて行きました。


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