淡路島にて、カイロプラクティックをしている先生ですが、構造医学を学び、骨格を整え、身体の中の正常な循環を促し、自己の免疫を上げて治す治療を施してくれました。
それはそれは優しい治療でした。
この先生と私を繋げてくれたのは、大病を患い生死を彷徨い、今も尚、大変な状態で生活されているまほさんという女性です。
元々は姉がずっと、まほさんと繋がっていて、姉を通じ、まほさんが、ご自身の知り合いの淡路島の先生のパートナーの女性を紹介してくれ、メールでやりとりをするようになったのがきっかけです。
何度かお話ししているうちに、お二人が私を治してあげたいという気持ちを持ってくれていると感じ取り、高知に帰ったら、この先生に頼ってみようと通い始めました。
まほさんは『ありがとう』という本を出しています。
その中に
ありがとうはまほ(う)のことば
という詩があります。
素敵な詩を綴っている本で、言葉が優しくて、とても美しいのです。
ブラッドパッチをして髄液漏れは止まったものの、7ヶ月で落ちた身体はあらゆる症状を残していました。
首は前後左右ピクリとも動かず、右手は30度以上どうやっても上がらなかったです。
後頭部にへばりついた脳が、重力となり肩にのしかかり、あまりの痛さに、母に何百個もせんねん灸をすえてもらっていました。
お陰で肩は爛れてボロボロで、痛み止めの注射を打ってくれていたお医者様は、その肩を見て驚いて、40歳にもなってないのに50肩みたいになって可哀想にと同情されました。
身体の動きは、まるで壊れかけのロボットみたいでした。
淡路島の先生とパートナーの女性は本当にお優しくて、治療の腕もさることながら、お二人のお人柄に癒されました。
高知から片道約3時間半。通い始めた最初の1ヶ月は毎週末、夫が連れてってくれました。
今思うとよく通えたなと思います。
ウィークデー仕事をして、週末に淡路島への往復7時間の運転を、嫌な顔ひとつせずに連れてってくれた夫は、今更ながらですが、なかなか良い人ですね♡感謝♡
通うこと一年、通うペースは月に2回から月に1回に、どんどん減っていったのですが、丁度一年で全ての不調が消えて無くなりました。
動かなかった首も、上がらなかった手も、普通に動き、後頭部にへばりついていた脳は間違いなく浮かび、痛みが消え完治したと実感しました。
事故から2年、私は、当時10%といわれていた完治した人になっていました。
その頃は、神社詣りなど、お正月にしかしていなかったのですが、ふっと氏神様に御礼に行かなきゃと思い、一人で歩いて御礼詣りに行きました。
両親がカレンダーに印をつけ、百日も私のことを祈願してくれたのですから。
一人で神社にお詣りに行くことなど、あの頃は無かったのですが、神様の前で手を合わしていると、
よく頑張ったね。。。
といわれたような、何とも言えない温かい氣を感じ涙が出そうになりました。
神様、お助け頂き有難うございました。。。
とお詣りさせて頂きました。
あれから、10年以上の月日が過ぎましたが、生まれ変わったのか、風邪をひくこともなく、元気いっぱいで、私が病気だった事を知らない人も沢山いますし、信じられないと言う人もいます。
その何気ない穏やかな日々に感謝です。
まほさんの詩より
26.選ばれて
私でよかった(ありがとう)
両親でなくて(ありがとう)
姉妹でなくて(ありがとう)
家族じゃなくて(ありがとう)
私でよかった(ありがとう)
あなたはお目が高い
オマエだったら
乗り越えていけるという
荷物を背負わせて
多くの悩みを持つ人に
「選ばれし人」だという事を
伝えるようにと
考えるアタマと
動くゆびと
見える目を
残してくださったのですね
オマエを選んで
正解だったと思ってもらえるよう
人生修行を続けます
改めて、全てに感謝、ありがとう。
続く