青森県と秋田県の県境のホテルは十和田湖畔にありました。
初日、ホテルに到着したのは夕暮れ時でした。
5月だというのにとても気温が低くて、十和田湖からの風が冷たくて冬みたいでした。
さすが東北ですね。
翌日になりますが十和田神社にお詣りしました。
十和田神社は平安時代の807年に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀ったのが創建と言われています。また、十和田信仰(水神信仰)の中心として十和田青龍大権現も祀られています。
鎌倉時代以前から修験者の修行の場として栄えていたようです。
十和田神社への参拝が、今回、旅の目的の一つでした。
その当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが湖の魚や水を喰らうちに八頭の大蛇となってしまい、湖を支配していました。
そこで南祖坊が霊験により龍に変化し、八郎太郎を退治したという伝説があります。
十和田神社には南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今にもあり、境内の熊野神社には鉄の草鞋が奉納されています。
十和田湖畔に泊まっていたので、十和田神社はそれほど遠くないだろうとは思っていましたが、ナビに入れると1キロ4分と出てきたのでびっくりしました。
十和田湖は広いのに、まるで、十和田神社参拝のために選んだかのような立地にあるホテルでした。我ながらナイス👍です。
十和田湖に行ってみたいなと思ったきっかけは、十和田龍のペンネームを持つ出口和明さんの著書『大地の母』を読んだからです。
十和田湖の事を書いた本では無かったのですが、素晴らしい本でした。
その、出口和明さんは、龍になった南祖坊の生まれ変わりといわれていて、ペンネーム十和田龍で書いた著書もあるようです。
到着と同時に、この神社とても好きだなと思いました。
厳かであり、それでいて優しい空気が流れていていました。
斎藤ひとりさんも参拝されているようでひとりさんシールを見つけ何か嬉しいなぁと思いました。
斎藤ひとりさんは八大龍王様の生まれ変わりといわれているようですね。
参道の左手に大きな磐座があり、この磐座のおかげで寒い風にあたることなく歩みを進めることが出来ました。
この磐座は、たくさんの神様をお祀りしている磐座でした。
いくつか鳥居を越えて拝殿に向かいます。
地元の人から伺ったのですが、ここ5年くらいのスピリチュアルブームで、十和田神社の人気が出て、参拝者が急増したと言います。
拝殿横の祠をお詣りして振り返ると、下に降りる小径があり、少し進むと、上に登る階段がありました。
ここ、上がらなきゃと直感が働き階段を登ってみることにしました。
途中、たぬきのような小動物にも遭いました。振り返ると夫は、私の咄嗟の行動に着いて来てませんでした。
階段の上に何があるんだろう?と思いました。
途中には、熊注意なんて看板もあったりしたけど、兎に角行ってみようと一人で進みました。
そして到着しました。
そして到着しました。
十和田山青龍大権現のお宮がありました。
こちらにお祀りされていたのですね。
上がって来て良かったです。🥹
十和田湖を一望できる山に青龍様が祀られています。
津野山の天井画で青龍様を描かせて頂いたことから、青龍様に親しみがあり、十和田湖の龍神様の青龍大権現の祠を見つけた時は、感動して、本当に来て良かったと思いました。
拝殿には人がいたけれど、こちらには人がいなかったので、津野山にて賜った石笛を吹いていたら、ゆっくり夫が上がって来ました。
なかなか私が降りてこないから、仕方ないと上がってきたのだと思います。
でも、来て良かったね🥹
夫もここは凄いねと言って、手を合わせてお詣りしていました。
十和田湖には占場があり、こちらから占場に降りることができていたようです。
下に降りる鎖と錆びた梯子がありましたが、見るからに危険で現在は通行禁止になっています。現在、占場へはボートで行ったりするようです。
下調べなしに行くから帰ってから知りました。
占いの方法は、宮司が祈念した「おより紙」を湖に投げ入れます。
願いが成就する時「おより紙」は沈み、叶わない時は浮いたままといわれています。
暫く、この場でゆっくりして青龍大権現様のお宮を後にしました。
十和田神社には開運の小径があり、その小径から十和田湖に出ることが出来ます。
【風の神】罪やけがれを吹き払ってくれる
【火の神】防火・かまどの火を守る
【山の神】狩猟の神・田を潤す
【金の神】鉱山とお金
【天ノ岩戸】勝利祈願
【日の神】開運
の6神様が祀られていました。
全てにきちんと手を合わしてお詣りしました。
そして、湖には、恵比寿様と大国様が祀られていました。
十和田湖は凄いところです。
こんな記事をみつけました。
ボートに乗れば奥の院のある洞窟まで行けるようですね。
奥の院は機会があればいつか行ってみたいものです。
こちら、新聞でも取り上げられたようです。
青森県はイエス様とご縁がある地なのかもしれません。
こちらの乙女の像の制作者は詩人で彫刻家の高村光太郎さんです。
お亡くなりになった奥様を想ってつくられたようです。
高村光太郎さんは、乙女の像が完成した3年後の昭和31年に肺結核で亡くなっており、十和田湖の乙女の像は高村光太郎さんにとって最後の作品となりました。
十和田湖は霊剣あらたかな地で、恐山(下北半島)、川倉賽の河原(金木町)と共に北東北の三大霊場として信仰の対象となっているようです。
まだまだ、青森県は見所満載で、恐山なんかは時間の関係で行けなくて、とても2泊3日では足りないと思いました。
いつの日か、完全に仕事も辞め、もっと自由になった時、時間を気にせず、日本全国を気ままに車でまわり、自然と神社参拝を思う存分満喫してみたいと思っています。
老後の夢ですが。。。