二つの神社が、どう違うのかもわからないまま、名前の似た二つの神社がある事だけ調べてやって来ました。
いつも復習派で予習はせず、現地で感じて帰って調べる流れです。
こちらも立派な神社です。
鳥居をくぐると左右に神池があり心地よい空氣に満たされていました。
この参道の左右に靏島神社と亀島神社があります。
そして、靏島神社には
神様のお名前を学ぶと、神社にてストーリーが浮かび上がります。
拝殿にてお詣りさせて頂きます。
鳥居をくぐると左右に神池があり心地よい空氣に満たされていました。
別称を「朝日の宮(あさひのみや)」というようです。
紹介HPによれば
夏至(太陽の力が最も強い日)の日出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきました。
この事は古代太陽信仰の原点、太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣発展と幸運を祈る神社として吉備津彦神社が創建されたことを象徴しています。
この参道の左右に靏島神社と亀島神社があります。
神池に靏と亀だなんて素敵ですね💖
亀島神社には市寸島比売命が祀られています。
水の神様です。
そして、靏島神社には
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
神功皇后(じんぐうこうごう)
が祀られています。
海上安全の神様です。
神様のお名前を学ぶと、神社にてストーリーが浮かび上がります。
この神様とこの神様がここで祀られてるんだ。。。
なるほど。。水で繋がってるんだとか、そんな事を考えながら神社巡りをすると楽しいです。
岡山市指定文化財の随身門をくぐります。
拝殿にてお詣りさせて頂きます。
境内に立つ平安杉は樹齢千年以上とされる御神木です。
本殿は見事ですね。美しく手入れされた神社です。
可愛い鳥🐧さん発見。
まだまだ吉備津彦神社の裏山にある神奈備への参拝が続くのですが、少し離れたところにある鯉喰神社をご紹介です。
実はこちら、卑弥呼の墓ではないかとも云われている神社のようなんです。
ホテルに入る前に少し時間があったので寄らせてもらいました。
言い伝えによると、戦いの果てに劣勢となった温羅は自らの姿を鯉に変えて川を逃げていきます。
それに対する吉備津彦命は鵜の姿となり、それを追撃、そして鯉になっていた温羅を食べて捕らえる事に成功したのです。
この謂れのある場所が、鯉喰神社のある場所のようです。
人々が吉備津彦命の勝利を記念して、この地に神社を祀ったと伝えられています。
それが実は、卑弥呼の墓ではないかという説があったりするからびっくりしますよね。
鯉喰神社は古代の墳丘墓の上にあります。
邪馬台国の所在地なのですが、実は岡山周辺にあったとする吉備説もあるようなんです。
吉備説を採った場合、卑弥呼の時代の墳丘墓で県内で最も大きなのが鯉喰神社の場所にある墳丘墓なので、こちらが卑弥呼の墓ではないかという説に繋がってるみたいです。
今回は時間がなくて、古墳は訪れませんでしたが、確かに、岡山県には古墳の案内標識が沢山ありました。
卑弥呼は実は一人ではなくて、日の巫女という役職であり、統治する男性と祭祀する女性で国を切り盛りしていたと考えると、卑弥呼(日の巫女)の墓かもしれないと云われる古墳が日本各地にあってもおかしくないのかもしれませんね。わかりませんが。。。
私たちが知り得ない史実がまだまだ詰まっているようで、古代史好きな方の気持ちがわかります。
少し知って空想するだけでも何だかワクワクします🥰。
それでは、吉備津彦神社に戻って、裏山にある神体山と温羅神社に続きます。