水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

救いを呼ぶ水子霊   6

2017-10-07 10:09:35 | 水子供養
ここでもう一つの、私の相談のケースから、実例をご紹介しましょう。





「いま裁判中の娘のことでご相談に・・」

初老の紳士が肩を落としながら、こんな話を始めたのです。




「もともと私の娘は看護師をしていましたが、ある病院に勤めている時、入院中の男と仲良くなってしまいました。
・・・ところが、この男が実は暴力団員だったのです。

そして娘はだんだんと深みにはまり、気づいたときには娘は病院の麻薬を盗んでしまったのです。

病院の麻薬を盗んだことで警察のヤッカイになって・・・。この娘は末っ子で私が一番可愛くてならない娘なのです。

私自身にとっても一番の悩みですが、どうやったらこの娘を助けることができるでしょうか」


わたしはこの紳士の家系図を見ながら言いました。

「あなたは自分たちの血の関わり合いを調べたことがありますか?」

「いいえ、今まで一度もありません」

「あなた方は現在、一見したところ比較的健全な家庭生活をしているように見えますけれど、
あなたがたの子供の生まれる配列からみて、水子がありますね」

と思いきりつっこんで質問しますと、

「はい、4人の水子があります」

との答え。

「その水子はどの子とどの子の間ですか」

私の前で、ついに紳士は涙をポトリと落とすと、うつむきながら言うのです。




「いま刑務所に入っている娘の前に二人、娘の下に二人堕しています・・・」

その娘が水子のサンドイッチになっていることがはっきりしました。

「あなたはこれでも罪を犯しているという自覚を持たないのですか」

「・・・・・・」

「あなたが堕ろせと言ったんですか」

「・・・・・私が女房に言いました」




「それだね!」




私はズバリ断言しました。紳士の顔が、みるみる青ざめていくのがわかりました。

戦後の混乱の中で自然の要求によって芽生えた胎児を4人も殺していながら、
悔いもしなければなんの供養もしていない。それが根本的な原因でした。

このケースの場合、この男性の奥さんには、直接の障害はありませんでした。

しかし「サンドイッチ」となっている末娘に、4つの水子の霊がまとわりついてしまいました。

こうして転落の道をたどったのです。

その結果、母親も、そして父親も、外見とは裏腹に、肩身を狭くし、心労を重ねて生きなくてはならず、
その苦しみの真の原因がどこにあるかもわからず、ただ自分が救われたいばかりに私のもとを訪ねたのでした。





この紳士は、私の話に深くうなずき、因縁の怖ろしさを噛みしめて、さっそく水子の供養を誓ってくれましたので、
きっと手厚くまつったことと思います。

その結果については、まだお聞きする機会を得ておりませんが、
娘さんは必ず更生して幸せになるだろうと、私は信じております。





                             救いを呼ぶ水子霊

                        佐藤玄明 著

救いを呼ぶ水子霊 5

2017-10-05 21:32:50 | 水子供養
母親の感情や情緒、人生においての考え方、さらに体外の環境変化に対して、
何ヶ月にも満たないような胎児でも、微妙に反応するらしいということが、一部の医学者によって確認されつつあります。
このように、現代科学や医学でも、人間のいのちの不思議さについては、まだまだ解明されていません。

しかし、私どもの立場から考えますと、胎児が「こころ」を持った存在であることに何の不思議もありません。
生命の誕生は、はかり知れない無量のいのちのつながりであり、因・縁・果という宇宙の法則にのっとって輪廻をくり返します。
肉体は滅んでも、霊(こころ)は消えません。
だからこそ、先祖の霊をまつり、霊が浄らかにやすまることを祈るのです。



浮かばれない水子霊がなぜ女性である母にとり憑くのでしょうか。
これは、水子の立場に立ってみれば当然といえるでしょう。
母胎でいのちを得てはぐくまれ、母を通じてのみ生そのものを知っている胎児が、中絶という一方的な突然の死に見舞われたとき、
その霊は、母体にとりすがって意志表示する以外に方法はないのです。



医学が発達した結果、中絶手術は、母体にさして大きな苦痛を与えないし、
手術後、2~3時間も休憩すれば、そのまま歩いて帰れるといった「気やすさ」があるため、
これがますます習慣性となっていく。たとえ、夫婦の合意、あるいは男女の合意があったとしても、
一度が二度、二度が三度という中絶の「習慣性」がついてしまえば、水子霊の障害は増大し、救いがたいほどの悪因縁をもたらします。

水子霊が、女性にのっぴきならない障害をもたらすという事実は、
仏教に帰依している私どもからみても、つくづくとその怖ろしさを感じさせられるのです。



                         救いを呼ぶ水子霊 

                         佐藤玄明 著

救いを呼ぶ水子霊  4

2017-10-03 08:56:25 | 水子供養
女性にとりつく水子霊



ところで、これまで長い間、数え切れないほど多くの水子の霊障に接してきた私の体験から申し上げますと、
水子霊は一般的にはまず母親に憑くということです。そして、夫婦に子供がある場合、女の子にとり憑くケースが非常に多いのです。

父親のほうには、水子霊は原則として憑きにくいのですが、しかし、母親(妻)の水子霊による霊障が、
間接的に父親(夫)に対して悪い影響を及ぼすことになります。

子を生むという自然の摂理は、女性に与えられた特権ではありますが、
そこには同時に深い業が秘められています。次代から次代への連綿とつづくつながりが母体を通じてのみ行われる。
これは生きとし生けるものの普遍的な真実です。
ところが、この真実に対して、堕胎という人工的な処置を行い、
その結果、無残にいのちを断たれた一個の生命が、霊的存在を持つことを少しも省みない。



私たち人間のいのちというものは、たんに身体だけで存在しているのではありません。精神を持っています。
「こころ」と「からだ」は不即不離です。人間は物として生まれてくるのではありません。
あくまでも人間として生まれてくるのです。そこには、多くの先祖の血のつながりがある。「
からだ」を通して「こころ」もまたつながっているといえます。

母体の胎内に宿った生命は、けっして一個の肉塊ではありません。
たとえ口をきけず、物事を考える力をまだ持たなくとも、その可能性をすべて備えています。
つまり「こころ」をすでに持っている。この「こころ」の不思議について、
現代の進歩した科学でも解くことができません。
しかし、さまざまな研究を通じて、胎教というのはどうも真理であるらしいことが指摘されるようになってきました。



                  救いを呼ぶ水子霊

                   佐藤玄明 著




水子霊のたたりはない

2017-10-01 10:09:36 | 水子供養
先日から、「救いを呼ぶ水子霊」という佐藤玄明先生の書いた本を、文面を抜粋してご紹介しています。

実話なので、文を読まれた方の中には、水子は怖いと思う方や、脅しではないかと思う方もいらっしゃると思います。

わたしも、「水子霊のたたり」と言われたら、怖いです。



でも、ご安心ください。水子の「たたり」は、ありません。

水子の「お知らせ」があるのです。



たたりというのは、恨めしい気持ちで仕返しをされること、

お知らせというのは、知らせるために起きる現象です。

なぜ、たたりではないかというと、

きちんとした供養をして、懺悔の気持ち、思いを届けると、

必ずといって良いほど、現象は改善します。

無知の罪は、それを知って犯した罪より深いという言葉がありますが、

無知はどこからくるかというと、「知らない」ところから来るのです。

「知らないことを知る」「供養の大切さを知る」ために、佐藤先生の御本があるのだと思います。

ですから、これからもご紹介していきますが、供養の方法は過去の記事に書いてありますので、ご参考にされてみてください。



水子供養の本質とは

https://ameblo.jp/ai4844/entry-12308515576.html



自分でできる水子の供養

https://ameblo.jp/ai4844/entry-12312415692.html



お仏壇の作り方

https://ameblo.jp/ai4844/entry-12312713589.html

また、お仏壇を持つことは、ご先祖様とのアンテナが繋がり、開運にも繋がります。





産まれてくる子が雲の上からお父さんお母さんを見た時、

お父さん、お母さんがどういう関係であっても、

産まれてくる子供は、ただ二人を愛して、「お父さんお母さんに会える」と思い、「会いに行こう」としているのです。



水子という言葉を使いますが、この世に生まれたはずの年から、あの世に強制送還されただけで、
あの世でも、この世で生まれ育った年齢に達しています。10年前の水子さんは、10歳まで成長しているということです。

この世に生まれた兄弟がいたら、その兄弟がうらやましく、自分のことも気付いてほしいと思い、サインを送ってくるのです。

それを怖がったり、たたりとして捉えるのではなく、



あなたもわたしたちの子供として「今」生きているね。



ということを知るということ、

そして、親として、本当にごめんなさい、あなたのことを思っていますということを、祈りを通して、
毎日でも伝えればよいということです。

名前も、つけてあげてください。

名前も、無いのです・・・。



この世でのお互いの念がテレパシーとして瞬時に飛ぶように、

あの世はふすまのむこうのようだと言われますが、それくらい近いところに水子のハートはあります。
ですから、この今、深い愛を子供に向かって飛ばすと、それは届いています。



水子のたたりは、ありません。

これからも記事に載せていきますが、たたりではなく、水子のお知らせということ、

そして、心からの供養で、開運に向かうということを、知ってくださいませ。





最後まで読んでくれて、有難うございました。

感謝いたします。

救いを呼ぶ水子霊  3

2017-09-30 06:14:01 | 水子供養
すると、その奥さんは急にガクリとうつ向き、大粒の涙を膝の上に落としはじめたのです。





「申し訳ありませんでした。実は主人にはいえない水子が・・・・東京で堕したんです」




*正しい供養で不幸を断ち切る




「そうでしょうね。それは、不義の子ですね」

じっとうつむいたまま肩をふるわせている初老の奥さんの姿を見て、私はホッとしました。

なぜなら、やはりこの奥さんも、心の底では不義の子を人知れず堕(おろ)したことへの罪の意識があったからです。




水子霊というものは、それがどのような事情によって水子になったかを問わず、
いかに当事者が隠そうとしても、絶対に隠しおおせることはできません。なぜ隠し切れないのか。
それは霊という本質からくるものですが、これについてはもう少しあとで詳しく説明します。




ともかく、水子霊の意味がわからず、人に知られなければ隠し通すことができると思っている。
隠そうとしているのですから、真心をこめた供養もしていない。
だからこそ、交通事故によるムチ打ち症といったような災いを通じて、水子は、その存在を知らせているのです。




「奥さん、事故にあうだけではありませんよ。そういう水子をもっているから、B子さんはまだ結婚できないでいる!」




私の断定に、奥さんはハッと顔を上げると、まじまじと私を見つめ、ふたたびうなだれたものでした。
実際、私のことばどおりだったのです。せっかく縁談が舞い込んでも、なぜか話がまとまらない。
本人も親も、半ばあきらめているという状態でした。不義の水子を隠してきた色情因縁が、下の娘に出て婚期を失わせているのです。

「奥さん、ほんとうのことをいってもらってありがとう。あなたが落とした涙にこめられた真心をとおして、
不幸な水子を供養するのですよ。この水子さんは、傍系供養として、お寺でしっかりお供養してあげてくださいね。」




それから1か月ほどたってからです。私の指導による正しい先祖供養にもとづいて新しいお地蔵さんが建てられました。
そしてちょうどその直後、オールドミスをかこっていた娘のB子さんに、突然、降ってわいたような結婚話がまとまり、
無事ゴールインできたのです。満面にさわやかな笑顔をたたえたご両親が、そろって私のもとを訪ねてくれたのはいうまでもありません。

水子霊への正しい供養が、はっきりと通じたのです。



                       救いを呼ぶ水子霊

                        佐藤玄明 著

救いを呼ぶ水子霊  2

2017-09-29 09:44:43 | 水子供養
隠しても必ずわかる水子霊





「私たちは、きちんと水子もまつり、お墓も立てて供養しているのに、夫婦とも追突事故にあい、
ムチウチ症になりました。いったいどうしてでしょうか?」




広島県のH市で相談のための集まりを開いていたところ、大ぜいの悩みをかかえた人たちのなかで、
こんなことをいう方がおりました。初老のご夫妻です。

亡くなった親や兄弟は、大きい立派な墓を建ててまつってあるし、夫婦の水子も、
あるお寺でお地蔵さまを建立して大切にまつったことを、いかにも誇らしげに語ったあと、
それでもなお事故にあうなんて腑に落ちないと、困り切った様子なのです。




「お墓は、どちらの先生に指導を受けてつくられましたか」

とたずねてみました。




「ほら、墓相の本がたくさん売ってありましょうが。それをいろいろ読みまして、
そのなかから選んでつくったんですが・・・」




私はさっそく、このご夫婦の霊通しを念じてみました。「霊通し」とは、
人それぞれを取り巻いているいまだ浮かばれない係累の霊を感得することです。
ところが、水子を丁重にまつったというご夫婦なのに、どういうわけか水子の霊が感応する。
そこで、このご夫婦の家系図を、私独特の方法でつくってみたところ、子供の生まれる順番からみて、
やっぱり水子がもう一人いなければおかしいのです。そこで私は訊ねました。

「奥さん、月経不順とか流産とか、なにか特別なことがありませんでしたか」

「いいえ、そんなことはありません」

「お宅にもう一人、水子がいませんでしたか」

「いいえ」

「ほんとうに水子はありませんか」

「私の水子は私が一番知っています。・・・・ないです」

「くどいようですが、あなたのお子さん、A男さんとB子さんとの間に、
もう一人水子になったお子さんはありませんか?!」

重ねて問うと、

「ほんとうにないです!」

という返事。ご夫婦とも、少々ムッとした顔つきでいわれます。




私は、この言葉のやりとりの間も、家系図をさらによく調べ、私の判断に誤りがないことを確認しました。
なにしろ、霊通しによって水子の存在がはっきり感じられたという事実は、動かしようがありません。
それは、二人が認めている手厚くまつった水子以外に、もう一人、浮かばれぬ水子がいて、そ
のために障霊したとしか考えられない。二人ともども交通事故でムチ打ち症になったのが、そのなによりの現れです。




「ほんとうにこの二人の子供さんの間に水子はありませんか。私には、どうしてもあるとしか思えませんがね」

何度も重ねて念を押したので、いささかツムジを曲げたご主人は、プイと席を立って手洗いに行かれました。
そこで、一人残った奥さんに向かって、私は静かに口を開いた。

「奥さん、これで最後ですよ。ほんとに水子はいなかったのですね」




すると、その奥さんは急にガクリとうつ向き、大粒の涙を膝の上に落としはじめたのです。




                  救いを呼ぶ水子霊

                    佐藤玄明 著




救いを呼ぶ水子供霊  1

2017-09-28 10:17:53 | 水子供養
水子-尊い命を受けながら、この世に誕生することを阻まれ、
安らかな母の胎内で突然声明を断たれてしまう小さな小さな人間の魂たち。

一方的にいのちを奪われた水子の霊は、はかり知れない怨念を秘めて、
人間の眼には見えない世界をさ迷いつづけています。いや、さ迷うだけではありません。
その霊は、自分を抹殺した者への哀しい恨みをこめて、親子一族子孫にまとわりつく。
真心を尽くした正しい供養を受けず、成仏できない水子の霊は、
魂の世界で固く結びついている親とその一族を取り巻いています。
そうして、霊的存在となって苦しんでいる自分を知らせようとするのです。

多くの人々に突然、なんの理由もなく訪れるさまざまな災いの根元をたどっていくと、
手厚く葬られ、供養された先祖の合い間で、物同然に抹殺され、放置された水子が必ずいることに気付きます。

天台宗の僧である私は、長いあいだ比叡山や高野山で修業いたしました。
その結果、霊の存在をはっきりと知り、霊的感応ができるようになったのですが、
多年の体験から水子霊の恐ろしさをいやというほど知らされるのです。
水子霊の具体的な事例については、あとで詳しく述べるつもりですが、正しい水子供養をしなかったために、
人々に降りかかる災いは数知れません。

一例として、まず次の話に耳を傾けていただきましょう。



救いを呼ぶ水子霊

                                 佐藤玄明 著





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本日より、「救いを呼ぶ水子霊」という佐藤玄明という比叡山の御坊さんによって書かれた本を、ご紹介していきたいと思います。

ショッキングな内容も多いのですが、歴史に刻まれた事実として、一人でも多くの方に、
堕胎とは、水子の悲しみとはどういうものかを知ってもらいたく、ところどころ、抜粋して原文を書き写していくことにしました。

読み物として読んでいただければ幸いです。そして、どんな理由であっても、子供を抹殺するという堕胎により、
その後どういうことが起こるのかを一例として知っていただき、同時に一人でも多くの命が助かることを切に願います。



宜しくお願いいたします。

自分で出来る水子供養

2017-09-20 15:25:28 | 水子供養
易といえば、日本人なら誰でも反射的に「高嶋易断」を連想すると思います。コンビニにも置いてある、易の本ですね。

その総家の理事長、「高嶋象堂」という方が書いた本で、「自分で出来る水子の供養」という本があります。

この本は、1988年に書かれた本ですが、今すぐに増刷はしないと思われますし、
アマゾン在庫も少ないので、少しでも多くの方に「水子の事実」を知っていただきたく、
今回より、順を追って、本の内容をご紹介していくことにしました。

後に水子に関わる色んなお話が出てきますが、

いつからでもご自分でご供養が出来ますように、

まず、高嶋先生の水子供養の方法を、ご紹介します。



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自分で出来る水子の供養   高嶋象堂 著



p188 第五章



☆過去を悔やんでも事実は消せません



選んだ行為は取り返しがきかない



水子を作ったという罪の意識にさいなまれ、「あのとき、無理をしても産んでおけばよかった」

「なぜ、あんな人とつきあってしまったのか」等々、いつまでも思い悩んでいる人がいます。あなたもそうではありませんか。

水子を作った罪さえ自覚していない親の多いことを考えれば、これはむしろ良心的な態度だとも言えます。

しかし、あなたが水子を作ってしまったことは事実なのです。もう起きてしまったことなのです。
どんなに悔やんでも自分を責めても、あるいは相手の男性を恨んでみても、けっしてその事実を消すことはできません。
死んだ子供は生き返ってはこないのです。



過去をやり直せない以上、今出来る方法で罪の償いをするのが、最善の道でしょう。

それはせめて死後、水子が幸せになれるように、心をこめて供養することなのです。









水子はあなたの不幸を望んではいない





ときには、自分を責めて不幸でいることが罪のつぐないになると考え、幸せをつかむのがまるで、
悪いことのように思いこんでいる人がいますが、それは違います。

まるで自分から不幸を招きよせるかのように、不倫の水子のことをご主人に告白して、夫婦は離婚、
ふたりの子供は別々に引き取るというふうに、家庭をメチャクチャにしてしまった女性がいました。
こんなことをしても水子は喜びません。むしろ、なんの罪もないご主人や子供さんの心を傷つけるという、
新しい罪を重ねてしまっただけなのです。

罪の意識をひとりで抱えているのは、つらいことかもしれませんが、現在の家庭、家族や周囲の人の幸福も大切なのです。
あなた自身の幸福も大切にしていただきたいのです。

水子が望んでいるのは、親であるあなたの愛情、供養だけです。ときには霊障によって親を不幸にすることもありますが、
何度もお話したように、それは自分のほうを振り向いてもらいたいがための、やむえぬ手段なのです。
本気で親が不幸になればよいと願っているわけではありません。

人生は緞帳の上がった舞台だと、わたしは考えています。幕が上がってしまったら、
途中で後戻りすることはできません。今、このときを大切に生きるしかないのです。
過去をいつまでも悔やんでためらっていると、舞台は進行できません。立ち止まっていては、幸せにはなれないのです。

あなたが、今出来る最良の道、すなわち水子供養を行ってあなたが幸せになることは、水子自身も望んでいることなのです。







なにより必要なのは心です





お坊さんに頼まなくても大丈夫



私が、供養は自分の心で、自分の手で行いなさい、と言いますと、「わたしは方法を知りません。
それに自分で行ったのでは、ちゃんとした供養にならないのではないですか」と心配される方がいます。

日本では、お葬式をあげるのにも、法事をするにも、お坊さんを呼んでお経をあげてもらうのが当たり前になっています。
熱心な仏教徒でなくても、それがないと本当の供養にならないと考えている方が多いようです。

しかし、こんな風習ができたのは、割合最近のこととされています。江戸時代になって、檀家制度ができてからだと言われております。

初期の仏教経典をみますと、「お釈迦様は亡くなるときに、葬儀は出家者ではなく、
在家信者が行うように弟子に指示された」という内容の記述がでてきます。
出家者、つまりお坊さんの仕事は、修行して悟りを開くことと一般の人に仏教の教えを説くことです。
葬儀のような個人的なことは、本来のお坊さんの仕事ではなかったわけです。

つまり、お坊さんに頼まなければ供養ができないというのは、おかしいということになります。

お坊さんに、供養の手助けをお願いするのがいけないことではありませんが、
供養をするうえで、絶対必要というわけではないのです。

では、自分ひとりで供養する場合の方法ですが、これは日常使っている言葉で、
自分の気持ちのあるがままを水子に語りかけるだけでよいのです。ちょうど、生きている子供に向かって話すのと同じです。



「赤ちゃん、ご免なさい。赤ちゃんを宿しながら、早々と霊界へ送ってしまったりして、お母さんは悪い人ね・・・・。

でも、そうしなければならなかったお母さんの気持ちも分かってほしいの。

あの時、赤ちゃんを産んでいたら、おそらくお母さんも、そして赤ちゃんも、大変辛い思いをしていたと思うの・・・・。

でも、そのために赤ちゃんを葬ってしまった罪は罪です。許してちょうだいね。

これからはお母さん、赤ちゃんがとても幸せな運を持って、この世に再び生まれてこられるように、心をこめてお祈りします」

と、このような感じで語りかければよいのです。

もっとも、あなたの思いを、水子のもとへより強く届けるための方法、一定の形もあります。
それはあとで詳しくご説明するとして、ここでは、何の飾りもないあなた自身の言葉、
あなたの心から出た祈りこそ、なによりも水子が喜ぶのだということを、声を大にして強調しておきたいと思います。







墓碑や位牌は必要でしょうか



水子だけの墓は建てない



子供を失った悲しみからか、先祖代々のお墓より立派なお墓を、水子だけのために建てているところを、見かけることがあります。
気持はわかりますが、水子のためには、これはよくないことです。

水子の場合、おとなになってから亡くなった人と違い、煩悩を持たないゆえに、
正しい供養を受けさえすれば再び人間として生まれ変われるチャンスが高く、
しかもその時期は早いということは、第一章でお話しました。

ならば、水子がいつまでも霊界にとどまらず、一日も早く幸せな人間として生まれ変わることを祈るのが、
親としての一番の愛情ではないでしょうか。

墓は、末代まで残るものです。それに向かっていつまでもおがみ続けることによって、
水子をかえってこの世に引きとめてしまう可能性もあるのです。

また、水子だけのお墓を立てて、先祖代々の墓と別にしてしまうのは、
水子を家族の一員ではないと、継子扱いすることにもつながります。

お骨があったりして、お墓が必要なときには、あなたの家のお墓に一緒に埋めてあげるのが一番良い方法です。
家族に秘密の水子でそれができなかったり、あるいは最近、都市に住む核家族に多いのですが、
家族のお墓をまだ持っていない場合には、寺の住職が作ってくださる塔婆という細長い板を建てるだけでもよいのです。
これなら末代までは残りませんので、水子を引きとめてしまう必要はありません。

なお、水子のために、わざわざ立派な位牌を作る必要もありませんが、これもお墓の場合と同じ理由です。



床の間に線香をあげるだけでもよい



供養をするときは物や形は必要ありませんが、もしあなたの家に仏壇があるのならば、お線香をあげて、
それに向かって水子の供養をしていただきたいのです。

「心だけが必要ならば、台所のテーブルに向かってだって、供養はできるでしょう」などとおっしゃるかもしれません。
実際、わたしが指導した方のなかにも、そんなふうに場所を決めずに供養をしてみると言って、実行した方もいるのですが、
しばらくするとみなさん、うまく水子に向かって祈ることができないと報告してくるのです。

水子霊は、たとえすぐそばにいても、ふつうの人の目には見えません。暗闇の中で、あるいは目をつむって人に話しかけてみればわかりますが、
本当に話が通じているのか、不安になるはずです。見えない相手に向かって心をこめて語りかけるのは、慣れない人にはとても難しいことなのです。

仏壇は、そこにまつられているご先祖様に日々語りかけ、供養するためのものです。ふだんから訓練が出来ていますから、
そこに水子の霊もいると考えるほうが、水子に向かって心を集中しやすいと思うのです。また、霊界にするご先祖様も同時に供養して、
水子を導いてくださるよう、お願いすることも出来ます。

お仏壇がない場合は床の間など、あなたの心が一番落ち着く場所を一ヶ所決めて、
水とごはん、お線香をあげ、そこに水子霊がいるつもりで話しかければよいのです。





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次回は、お仏壇の作り方について、記事を書かせていただきます。



読んでくれて、有難うございました。

高嶋先生にも感謝いたします。