子供のことで、最近疲れることが多い。
夏休みなので、一緒にいる時間も多く、
小さなことなのに、自分との習慣や価値観の違いに勝手にイライラし、
身体もきついのに、あっちこっち行かせられる。と思っている。
今日は、ゆきおのはじめての柔道大会の日だった。
主人と観に行った。
身体が小さいので、体格も経験もある相手に振り回されながらも、
必死に抵抗して、試合は負けた。
わたしは、柔道場の中の、応援に来ている親がいつしか戦闘モードになって、
きつい波動を出していることに疲れた。
相手に振り回され、しまいには体ごと乗っかられて上から押しつぶされるゆきおを、母親の目で、可哀想だと思ってしまった。
でも、その柔道場の先生の息子、大先生の孫、ゆきおと同じ年の男の子が出てきて、試合をした時、
わけもなく泣けてきた。
身体は全然大きくない。細いし、同じ学校のクラスメイトだけど、優しい、ほんわかした子という印象。
その子が、自分より少し大きい相手と組んだ時、彼の中に見えたもの。
それは、柔道場の息子、継承するものが持つ、大きなプレッシャーとプライドだった。
背負うものの重みと、小さい頃から続けてきた柔道に対する思い。
単なる格闘技でなく、小さな身体から出る気迫とプライドが、とっても良かったんだ。
そして、何やら真摯なモノが、彼を包む。
わたしは文化系なので、スポーツとは無縁だったけど、
こうして子供達が、スポーツの世界に連れ出してくれる。
武道場など、絶対縁のない場所にこうして、主人と立っている不思議。
ゆきおは、負けたけれど、団体戦で銀メダルをもらい、思ったより喜んでいた。
その後、主人に、わたしの好きな、阿夫利神社に連れて行ってもらった。
この神さまは、荒神ということだけれど、わたしにとっては
とても理知的で、紳士的な方だ。
最近、疲れて混沌としていると思っていたけど、主人と阿夫利様の前に立った時、
自然と涙が出てくる。
心の中で、
最近、わたしは疲れています。
色んなことに対して、だめだと感じます。
と、言葉が出てきた時、阿夫利様は、
否定も設定もせず、
そうなのだね。。
と受け止める。
その後受け取った言葉は、
「それでもあなたはそこで生きていくのでしょう。」
というものだった。
「それでもあなたはそこで生かされているのだから」というものではなかった。
あなたは愛されているという優しいものではなく、
励ましではなく、
それでもあなたはそこで生きていくのでしょう。
と、穏やかで淡々とした言葉。
それは、わたしがこの宇宙を、わたしの宇宙を
生きていくと決めているから、生きているんだよというもの。
あなた自身が、「わたしが生きるんだ」と決めているからあなたは生きている。
誰も、あなたに強要もしない。
あなたは、自分が生きたいことを設定し、生きたいからそこに生き、
その環境も、設定したいから設定しているだけ。
ただ、それだけ。
そのあなたの設定した物事に、
良い悪いも、周りは言わないということ。
あなたは生きたいから生きているのでしょう。
あなたが生きるというから生きている現実があるのですよ。
というもの。
わたしが能動的に決めたことに、失敗って無いんだよね。
わたしの世界は、そうして出来上がっているんだね。
なんだかスッキリした。
それから行ったレストランは、とっても美味しいパスタの店で、
大ぶりの魚介を使い、グラタンソースでパスタにからめた味は、最高だった☆.。.:*・
久しぶりに主人にご馳走してもらい、自分可哀想という気持ちが飛んだ。
人生は、切なさと愛おしさを織り交ぜながら進んでいく。
しんどいけれど、わたしはこの世界が好きだ。
しっかり向き合うと、優しい風が吹くようにできている。
夏休みなので、一緒にいる時間も多く、
小さなことなのに、自分との習慣や価値観の違いに勝手にイライラし、
身体もきついのに、あっちこっち行かせられる。と思っている。
今日は、ゆきおのはじめての柔道大会の日だった。
主人と観に行った。
身体が小さいので、体格も経験もある相手に振り回されながらも、
必死に抵抗して、試合は負けた。
わたしは、柔道場の中の、応援に来ている親がいつしか戦闘モードになって、
きつい波動を出していることに疲れた。
相手に振り回され、しまいには体ごと乗っかられて上から押しつぶされるゆきおを、母親の目で、可哀想だと思ってしまった。
でも、その柔道場の先生の息子、大先生の孫、ゆきおと同じ年の男の子が出てきて、試合をした時、
わけもなく泣けてきた。
身体は全然大きくない。細いし、同じ学校のクラスメイトだけど、優しい、ほんわかした子という印象。
その子が、自分より少し大きい相手と組んだ時、彼の中に見えたもの。
それは、柔道場の息子、継承するものが持つ、大きなプレッシャーとプライドだった。
背負うものの重みと、小さい頃から続けてきた柔道に対する思い。
単なる格闘技でなく、小さな身体から出る気迫とプライドが、とっても良かったんだ。
そして、何やら真摯なモノが、彼を包む。
わたしは文化系なので、スポーツとは無縁だったけど、
こうして子供達が、スポーツの世界に連れ出してくれる。
武道場など、絶対縁のない場所にこうして、主人と立っている不思議。
ゆきおは、負けたけれど、団体戦で銀メダルをもらい、思ったより喜んでいた。
その後、主人に、わたしの好きな、阿夫利神社に連れて行ってもらった。
この神さまは、荒神ということだけれど、わたしにとっては
とても理知的で、紳士的な方だ。
最近、疲れて混沌としていると思っていたけど、主人と阿夫利様の前に立った時、
自然と涙が出てくる。
心の中で、
最近、わたしは疲れています。
色んなことに対して、だめだと感じます。
と、言葉が出てきた時、阿夫利様は、
否定も設定もせず、
そうなのだね。。
と受け止める。
その後受け取った言葉は、
「それでもあなたはそこで生きていくのでしょう。」
というものだった。
「それでもあなたはそこで生かされているのだから」というものではなかった。
あなたは愛されているという優しいものではなく、
励ましではなく、
それでもあなたはそこで生きていくのでしょう。
と、穏やかで淡々とした言葉。
それは、わたしがこの宇宙を、わたしの宇宙を
生きていくと決めているから、生きているんだよというもの。
あなた自身が、「わたしが生きるんだ」と決めているからあなたは生きている。
誰も、あなたに強要もしない。
あなたは、自分が生きたいことを設定し、生きたいからそこに生き、
その環境も、設定したいから設定しているだけ。
ただ、それだけ。
そのあなたの設定した物事に、
良い悪いも、周りは言わないということ。
あなたは生きたいから生きているのでしょう。
あなたが生きるというから生きている現実があるのですよ。
というもの。
わたしが能動的に決めたことに、失敗って無いんだよね。
わたしの世界は、そうして出来上がっているんだね。
なんだかスッキリした。
それから行ったレストランは、とっても美味しいパスタの店で、
大ぶりの魚介を使い、グラタンソースでパスタにからめた味は、最高だった☆.。.:*・
久しぶりに主人にご馳走してもらい、自分可哀想という気持ちが飛んだ。
人生は、切なさと愛おしさを織り交ぜながら進んでいく。
しんどいけれど、わたしはこの世界が好きだ。
しっかり向き合うと、優しい風が吹くようにできている。