水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

厄日と夢と・・

2015-03-07 11:27:10 | 気付き
昨日は厄日でした。

9時からの梱包作業。

朝家を出たら、バス停にバスが止まってて、時間調整してる。
目の前から、運転手のあたり凝視しながら走っていくのに、
あと10メートルでドア閉めて発進っておい・・

作業は、一人で休憩なし、昼飯抜きで、4時までかかり、
あとから来た若い配送員からは、偉そうにとんちんかんなことを聞かれ、答えたら、
「はあん。。それ、決まりなんすかね。。」
だとよ。
だとよ。
(ちなみに会社に確認済み。okでした。)

しかもそいつに仕事押し付けられそうになり、その家にいた、孫を迎えに来て待っているお父さんが勝手に人の靴を履いて玄関ウロウロし(笑)




どしたの!!!!


ってくらい。


その家の若いママも、基本的に自分のために人が動いているということを、
全く感じる機能の無いタイプで、叔母に対しても父親に対しても、有難うという気持ちが反応しない人。
それは、もうしょうがないね。そういうタイプは、そういうタイプなんで、腹も立たなかった。
でも、そのおかげで、

こういう人間のために、身体を張ってやる仕事ではない。
って正直思った。


おまけで、帰りのバスの運転手は、
あと2秒で死ぬ・・というような悶え声で、
最初から最後まで何言ってんだかわからない。
ここまで来たら笑ったわ。


その前の日は、実家の絨毯を敷くということで、ピアノ持ち上げたりして、
みんな仲良く筋肉痛になって、バンテリン。でも親が喜んでくれてよかった。これはホントに楽しかったよ。

しかし、その次の日に、こんな流れかいって思ってたの。


帰ったら、長男が反抗し、
かなりヒートアップして、かつて言われたことのないことも言われ。

夜のドライブ。
なんだかなあって涙が出てくる。



そして、寝たその日の夢。。


大きく、
「自分」

と書かれた大きな色紙。


そして、言葉が聞こえた。

「あなたは、いつも人のことばかり。
でもこれからは、自分中心でいいんです。
人のお世話をして、頑張って、それでこの結果です。


これからは、自分のことを第一に、
自分を癒してあげてください。
楽しませるのです。」



言いたいことはわかった。
でも、こんなにゴンゴン殴ることないでしょ~。


はじめ人間ギャートルズみたく、
頭にたんこぶいっぱい出来たじょ~。。




なんか今日洗濯物干しながらさ、
天使に文句言ったよ。



「あのね。
こんなふうにして気づかせてくれなくていいです。
ほんと・・今回ムカつきました。
不愉快です。」




でもね、もうひとつの声も聞こえる。


あんたのような強情な人は、
これくらいしなきゃ、わかんないでしょ。
知ってるでしょ。(笑)

って(^-^)



生き方。


人のため、大好き。
身体を人のために活かしてもらってます、大好き。


でも、それも、
本当の自分は、疲れてたんだね。

もういいよ~って。

そんなことしなくても、
愛されてるでしょ。
知ってるでしょ。
酷使する必要ないでしょ~って。


長男が言ってくれた、
酷い一言。

でも、その生き方をフェードアウトしていくために
言ってくれたのかな。


あまりにも嫌な一日だったから、
まだ傷があるけど、


そんなことだろうなーと思ったのでした。。

今日はゆっくりしよ。


皆さんも良い休日を☆.。.:*・












相手への執着を解く方法

2015-03-02 09:52:48 | 気付き
昨日の続きになりますが、相手への想いは、軽く明るいものは祝福の波動になって
関係も良くなるのを重々承知でいるのに、この一週間ほど続く、相手への想いは、いつの間にか
わたしの中に重しのようにのしかかった状態で、とても苦しかったのです。
でも、そこで見えてきたのは、わたしが私自身で抱える、自分への自信の無さでした。
奢りと本当の自尊心とはまた別のことで、奢りは自分を条件付けで愛すること。
でも、本当の自尊心は、生まれながらにして持つものであり、それはどんなことがあっても
どんなことをされても、しても、珠玉の玉のように据え付けられているものだと思います。
それを本当に直視出来たなら、相手がどう、こうしてくれない、と思う前に
あまり気にならなくなる。究極な表現で言うと、
一人でもいい。と思えること、一人でも生きていけるんだ、わたしは。と思えること。
奢りは条件付きなので、それが時間がたって薄れたり、忘れられたりすると、とたんにまた、補充しなくてはと焦るような、形の無いものだと思います。
そのことを、他人が教えてくれる。そして、それに気付き、乗り越えると、もうなんだか気にならない。
だから、反対に言うと、
気になること、気になる人、どうしてもモヤモヤするということは、
乗り越えられる時がきましたよ~という合図なのかもしれません。

よっしゃ~じっくり取り組んでやろう。
どこがどうこんがらがっているのか。
それは、相手に対して、相手がどうこんがらがっているのかではなく、
自分が、どうこんがらがっているのか、もう頭を出していて、そこを触られると痛いということを
直視しても、あなたは大丈夫。そんだけ強くなったから、見てごらんよってこと。
それが、意外とシンプルなことにあり、
ウイークポイント=癒しポイントであり、
わたしの場合は、ダメな子と思われたくないとか、コミュニケーション下手と思われたくないとか、
人に対して気を遣う自分から脱却したいという疲弊した想いだとか、
そういうことでした。

変わるという時期。
それは、ハンドルを大きく動かすという時期で、
それはどうしても、自分だけでは促せない。
他人の介入があって、はじめて重い腰を浮かすということだと思ったら、
やっぱり困ったちゃんと思う人って、必要なのかもしれないと思いました。

そして、自分のその、痛い部分に気付き、
はぁ~そうだったんだね。わたしはここが泣きたいほど辛かったんだ。
そう思われたくなかったよね。こうしたいよね。
じゃあ、こうしていけばいいね。ゆっくりでいいからねって
自分と対話することで、傷もゆっくり癒えたりしていくのかなと思います。

跳び箱をよじ登り、ゆっくり降りた時、
また少し違う感慨があったり、気持ちが軽くなっていたり、
色々。それが現実に投影されて、相手との関係がもっと軽やかになったり、
お役を終えた人は離れていったり、正直に現実投影されていくということかな。


全部自分なんですね。
そう思うと、とても楽。
だって、他人と話し合わなくても、自分で全部完結できるんだもん。

他人は変えられない。

戦いは、勝ち負けは、調和とはまた違うし。

悟ればいいんだよね。
悟るって、軽くなるってことで、あまり大きい意味は無いように思う。

そして、軽くなってふんわり浮くと、その人と同じところにはいられないし、
自分に合った人との出会いがある。
そういうことって、本当に正直に投影されてくると感じます(^-^)


ネガティブ色眼鏡

2015-03-01 17:59:39 | 気付き
想像の翼という言葉が、朝ドラにもあったけど、それが良い方向なのか悪い方向なのかで
未来もぐっと変わると思う。
何か小さな人間関係が自分の中で引っかかり、相手が目の前にいないのに、
想像の翼を悪い方向に広げ、飛び始めると、ロクなことにならない。
みんなそれぞれ色眼鏡を持っていて、自分の見たいように見ているけれど、
ネガティブ色眼鏡をかけはじめたと思ったら、自分が疲れている、満たされていないと、自分のケアをしたほうがいいと思った。
そんな時はゆっくり休んだり、好きなことしたり、本を読んだり、美味しいもの食べることもそうだけど、その相手に向かって、心の中で謝るのが一番早いかなと、今日思った。
100円ショップで、買い物してたら、突然、申し訳ないという気持ちがこみ上げた。
ウッときて、涙がこみ上げた。
こちらの勝手な色眼鏡で相手を見ていたことに対して、申し訳ないと思った。
心のなかで謝ったらスッキリした。
それで終わり。終わりにしよう。
勝手な始まりの、勝手な自己完結。
だけど、気持ちはきっと、相手の魂に届いてる。
ごめんね。有難うって言葉は、届いてると思う。
これは、この考え方は、わたしのクセなんだね。
知ることからの大きな一歩だね☆.。.:*・
クセは気づいた時になおしていけばいい。
ゆっくり進もう。
気づきを有難う(*´∀`*)//

おもいやる。

2015-02-21 14:53:11 | 気付き
主人とスーパーに買い物に行き、チカという小さなお魚をフライにしようと思ったけど、
内蔵とかそのままあげちゃっていいんだろうけど、一応聞こうと思い、
魚をおろすところにいるおばちゃん(見た目50歳くらいかな)に聞いてみた。

すると、おばちゃん、半笑いの顔になり、近くのおばちゃんたちに「ねえ・・」という顔をして、
「内蔵は取りませんよ。内蔵とったら(半笑い)身がくちゃくちゃになっちゃうでしょう?」
と言ったあと、普通わかるでしょうって顔でまたしたり顔をした。


「あ、そうですね。わかりました。」

と笑って答えたけど、腹の中は久々に沸るぜ。


もんもんしながら家に帰ったけど・・

でもあの時の風景を思い浮かべて、はーーんと納得したことが。


あのおばちゃんの横に、孫のような息子のような男の子がいたんだわ。

あれがもし、息子だったら・・・

と、ちょっと思いやってみた。


きっと、息子の前だから、ちょっといい顔したかったのかも。
色々知っている、おばあちゃんだかお母さんだかわからないけど、
ベテランの顔をしたかったんだね。


そう思えば、あのおばちゃんの立場で、近くに圭吾がいたら、
きっとわたしもそうするかなぁ。。


。。。いや、しねえな(笑)

わたしなら、ニコニコして、
「そのままあげちゃって大丈夫ですよ(^-^」」

って一言で終わりにするわい。



でも、良い良い。


これで終わり。いいじゃん、いい顔出来たんだからさっ。


って週末。


今日の夜は魚のフライ祭りじゃーー☆.。.:*・

自立という綱を切るな

2014-11-08 09:58:53 | 気付き
この間、仕事のときに、あるスタッフさんから聞いたこと。

親戚に御夫婦がいて、その奥さんが、旦那さんに、箸以外持たせなかったんだって。
全て、身の回りのことをしていて、旦那さんも全く家のことをしなかった。

歳をとり、奥さんが60歳くらいでお亡くなりになってしまった。
すると、旦那さん、気が狂ってしまわれた。

実話なの。

でも、そのスタッフさん、言ってた。

「これって、虐待だよね。」


うん、わたしもそう思う。

子育ても同じく、子育ての真髄は、自分たちが死んでも、子供が独りでも生きていけるように、教えてあげていくことだと思う。
スパルタで仕込むんじゃなくて、日々の生活の中で、機会の中で、無理なく教えてあげたい。
私には、それが出来ていないと感じた。

主人の母が、よく言う。

「愛ちゃんが倒れちゃったら大変だから、一番体に気をつけて。無理しないでね。」

そうだなーと思うんだけど、
気を張って、肩を張って、ふうふう言って、独りで家のことするの、もう疲れた。

これからは、少しずつ、手を抜いていきたい。
その中で上手にお願いしたり、やってごらんと教えてあげたりして、
家の中のこと、主人含めて家の人たちにやってもらおう。

それが、結局のところ、親切になる。

自立という綱を切ってしまってはいけないんだ。

いずれは主人以外の子供たちは、独立していく。

今日の夕飯、ちょっと話してみようと思う。

誰かとの会話って、天使が運んでくると思うときがある。
教えてくれたスタッフさんに感謝☆.。.:*・

やられたほうでよかった

2014-10-07 09:23:02 | 気付き
朝、トイレに入ったら、
いきなり中学生の時にしていただいた嫌な思い出が蘇る。

おお・・あの人そういえば、あんなこともしてくれたな(>︿<。)
しかし、なんで今になってこんなこと思い出すんかな・・
出てきたいのかな・・しっかしあいつ、ホント性格悪いな・・

んなつまんないことをぐるぐる考えていたら、
ある答えに行き着いた。


20代30代の頃はあんまり沸かなかった感情だけど、
40代になって沸いた思い。


「やった方じゃなくて良かった~・・・」


子供が中学生になる。
あいつにああ言われた、あいつがムカつく、許せない、色々。

それを、片目でハーンと見ながら、そうねえ・・大変だねえと言いながら、
どの時代も同じねぇ・・と半分受け流している。

でも自分は、その時の思いを半ば大切に持っていて、
かわいそうだったね・・と自分をなぐさめて生きている。


親の目から見た中学生のごたごた、
自分の思い出に残る、あの時の辛かった思い。

他人からしてみたら、そうだったの~んという感じのことを
後生大事に持つ自分。
過去のことなのになぁ。

その時に出てきた、
やった方じゃなくてよかった・・という思い。

そうだよな。
相手を傷つけたという過去を持つより、
傷つけられた過去のほうがいいもん。

そう考えよう。

しかもね、よく考えたら、大したことないことなんだけど、
そのときは重大問題だったんだね。

だから、今のうちの子も、ガラスの心で一生懸命生きているんだね。。

わたしも、それを知った上で、話を聞いてあげよう。


自分の嫌な過去が、今の学びになる。

だから、全部先生なんだね。出来事も、人も、自分の心も。

くるくる変わる万華鏡のような心も愛していこうლ(╹◡╹ლ)


怒ってくれる人

2014-09-30 16:41:32 | 気付き
自分に、怒ってくれる人、どれくらいいるだろう・・

40歳超えて、子供3人いて、でもやっぱり高校生から変わらないものがある。

前は、自分に対して意見する人がいると、すぐに心を閉ざして、嫌いになっていた。

でも、今、10年前のあの会社の時の、あの人が今、自分に意見してきたら、
あの時とおなじ意見してきたら、
受け留められる気がする。

それだけ冷静に自分を見れるようになってきた。

同時に萎えてきた((笑)))


でも、自分に怒ってくれる人がいてくれるって、幸せ☆.。.:*・
プライドが高かったわたしは、若い頃ずっと、傷つくのが怖くて、上辺だけで付き合ってきたわたしは、怒ってくれる人、家族や親以外に、いないのかもしれない。


でも、まだ間に合う。

自分が、他人に対して、本音を言える人間になろう。

思ったままを言える人間になろう。


人は自分の鏡だから、そうしていればいつか、
怒ってくれる友人もできるだろう(^-^)

これって、人を好きになってきた証拠じゃね?

嬉しいなぁ(*´∀`*)ありがたいლ(╹◡╹ლ)。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。



コーチング

2013-10-30 16:54:18 | 気付き
自分と他人を幸せにしたいなら、己から逃げないこと。



今回コーチングを終えて、とても思った。



そして、自分を本当の意味で知ることが出来たら、



もう本を読んだりしなくても、自分が一番自分のことを理解してるから

自分に一番合う解決方法がわかる気がする。



とれみにょん姉さんとのコーチングノートを開くと、

痛いと感じる言葉の羅列。



でも、これは自分だけの聖書みたいなものになった。



辛くなったら開く。

でも、自分にとって図星の辛いことが書いてある。



その辛いと思える言葉たちが、

わたしを悲しみや怒りから救ってくれると思える。



そこには、

自分自身のことが書いてある。



だから解決できる。



自分から逃げない人にヒーラーになって欲しいし、

己に一番厳しい人は信じられるから。



信じられる人にコーチング受けることが出来て、幸せだった。



「本当の自立は、人に対して「助けて」を言えてからだよ。

助けてを言える人は、自分がどれだけ助けられていることを知っている。

だから、助けてと言える。」



感動した。こういう言葉を、サラッと教えてくれる。

いっぱい。





これからわたしが、どんな人生を歩んでいくか分からないけど、

人生ってものが「楽しいものである」と思えるようになったから、

きっと楽しいものにする。



コーチング受けてから、出会う人が変わってきた。



分かち合えると思える人にも会えたし、新しい仕事先での人々は

一緒にいて楽しい。



姉さん有難うございました。



このノート開いたら、姉さん思い出すよ。



いつも感謝してる。ずっと感謝してる。



寂しいな。でも頑張れるよ。



いっぱい失敗して、ノート開いて学びとわかってまた生きていくね。



有難うございました。








大きな愛

2013-10-27 14:22:12 | 気付き
最近、「楽しい☆」ことを人生のキーワードにしています。




大変なことであっても

本人にとって楽しければいいんだと。




楽しければ、どんなことも出来る。




楽(らく)という言葉は、

貧乏性の動き回るわたしにとっては、

イマイチピンとこない。




常に動いていたい。

常に気が向くことを

楽しくやっていたい。




そして、休むときには思い切り休む。




このメリハリがとても好き。







今日は実家に行き、母に久々会いました。




性格が乙女でかつ男前の母。




そんな母は、

父とオセロをするのが日課になっています。




朝起き抜けで、チョンと椅子に座ると、

なんと父が嬉々としてオセロ版を持ってくる。




でも母は、

疲れていても、やること満載でも、







「やろう♪」




と、嫌な顔ひとつせず、オセロをするという話を聞き、

ほんっとに感動しました。










これだよ。










これが愛。










前に母が倒れ、次の日に父が病院にお見舞いに行ったときも、

父の顔を見るなり、







「お父さん、寒くない?」




と聞き、父は驚き、感動したそうです。




自分の身があぶなかったのに、

こうして心配してくれているということ。










そう。




母は、本当に男前で、かつマリアのような大きな愛の人なんです。







だから、何が言いたいかというと、

愛って、言い訳がいらないことなんだなーって。




ただ、愛する。

ただ、包む。




そこに利害とか理由とか、無く、

ただ愛するということ。







なぜ?




だって愛しているからさ。







ということ。










それから夜、お友達のひろさん にお電話し、

色々と相談に乗っていただきました。




ひろさんは本当に真摯に探求してきた人で、

そこから生まれるオリジナルのものが、

ちょっとした事件のあった主人を助けてくれて、

有難かったんです。




主人も帰ってきてから、ひろさんのアドバイスを有難く受け止め、

色んな方法も教えていただき、

二人してほっとしました。







わたしは、人に恵まれているなあって

しみじみと思った日でした。








宇宙を信頼すること

2013-10-20 21:39:54 | 気付き

毎日、家族誰かに、特に主人に対して氣を流しているわたしですが、

今日は風邪っぴきの次男が、明け方ベッドに入ってきました。




低気圧のせいか、咳もあり、胸もヒューといってたので、

横を向いて、彼の胸に手を当てて寝ました。







小さい胸。わたしの手がすっぽり覆ってしまう。

いつの間にか寝ていた。




それからわたしは夢を見た。




高校みたいな所でわたしは暮らす。というか、居る。

先生でもなく、誰かの家にご厄介になりながら暮らす。

雨の日。高校の出入り口のところで、これから体育という時間、

だだっと高校生たちが体操服を着て、外に出ていく。

最後の方に、5歳くらいの背の男の子が、出てきた。

生徒なのかわからず、ただ、体が不自由そうで、顔にはぶつぶつがいっぱい。。




とっさにわたしは、その子を抱きしめた。

その子も、わたしが必要だという意志のもと、わたしに抱きつく。







なんともいえない可哀そうだと思う気持ち、

この子を守らなくてはという気持ち、

そして、ほわっとした幸せな気持ち、




色んな気持ちが混ざった。




目を覚ますと、次男の咳とヒューは消えていた。







きっと次男とは、

大昔からのご縁な気がする。




いや、可哀そうとかそういうんじゃないし、

可哀そうな人って例え自体、わたしの中ではタブー。




可哀そうな人なんて、いない。




可哀そうと思った時点で、お互いの位置関係に狂いが出る。







今日の昼は、主人と昼寝した。




子供がいて、がやがやしている1階を脱出し、昼寝。




主人の頭に手を当てると、

ビーーーーと痛い。




いたたた。。と言ってた主人も、気持ち良いと言いだし、

わたしの手は、相変わらず痛い。。




でも、しばらくして痛みも消え、主人も軽くなったと喜んでいた。







今日は風呂に入り、

宇宙をもっと信頼せよというメッセージをもらった気がする。




だって、幸せなんだもん。




ひろさん、北海道の美味しいお野菜、本当にありがとう。

にんじん、甘かったよ♪幸せ☆







あれこれ色んなこと考えても、

日常の色んなことは過去のものとして思い出せない。




時間の強力なマジック。




いや、時間は存在しない。




わたしたちは、1点として、色んなものを味わい、糧にしながら生きている。










ミクシィで繋がっていたリアルなお友達が、

ここ最近お亡くなりになった。




彼女のミクシィはまだ残っていて、

今日が誕生日だった。







わたしは、彼女にメッセージを送った。




この世で不自由な体を選んだ彼女。

でも、とっても前向きで明るかった。




だから今は、天国で思いっきり飛び回ってることと思う。







色んなこと書いちゃったけど、

今日思ったことは、




こうして氣を使えるということに感謝し、

宇宙を全面的に信頼して生きようと思ったことでした。







読んでくれて有難う♪










プロフにあるお店、良かったら来てね♪












自分にフォーカスして生きる

2013-10-19 09:26:50 | 気付き
ひろえんじぇるさんのブロックバスターとれみにょん姉さんのコーチングを受けて、

いかに自分の気持ちにフォーカスして生きるということが楽かということが分かった。




今までは、人のために色んなことをして生きる。自分のことは二の次にして。




その後に、きっとご褒美か待っているという感覚のもと、生きてきた。




でも、

どんなに頑張っても、どんなに走っても、

ちょっと周りに感謝されるだけで、

本当のご褒美や、安らぎは無かったように思う。







今までの行いや頑張りは、ほんとにやってよかったと思うけどね。







今日の朝瞑想してた。




すると、最近悩んでいた、なんでこんなにお店の広告費に自己投資したのかなぁって感覚にフォーカスしてた気持ちにライトが当たり、




「いやいや。やってあげればいいじゃん。

良かったね。これだけ今まで頑張ってきたんだよ。

自分へのご褒美、自分の人生。

自分に投資したり、お金かけていいんだよ。」





って、ほんとに素直に承認できたの。







お金を使うってこと自体、自分にお金を使うってこと自体、

今まで後ずさりしてきたもんね。




特に主婦は、家庭全体を切り盛りするんだから、

自分のことへの自己投資は独身の時だけだよとか、

家庭を持ったら贅沢は敵★とか思ってしまう。







でもさ、

家庭にいる家族にとって一番大切なことは、

その家のパパ・・ではなく、

ママが、お母さんが、ニコニコして楽しそうなのがいいんだよね。




どんなに家庭が整っていても、

ママがつまんなそうな顔していたり、モンモンしていたら、

子供たちも不安になるし、暗い。







自分のためにお金を使うなって、だれが決めたのか。

自分だったね。自分のエゴ。




大人になっても夢がある。やりたいこと、イクラのようにいっぱいある。

そんな大人でいいんだよっていうのも、

子供が感じる大人という常識を変えていける。




そのイクラが一粒もブレークしなかったとしても。

イクラを抱えたまま、幸せそうに死ぬことも出来る。




80才過ぎて、老後は・・という人間でいたい。




だから、

例えば何かのビジネス、何かの投資で失敗したという人も、

そこから学ぶことが自分への魂の教養の自己投資だったんだよね。

絶対あるはずなんだよね。どんなことでも、学ぼうということを意識したときに、

ポコンって出てくるものが。

それは、頭で考えて、

このビジネスに失敗したら、きっとこういうことを学ぶだろうなんてチンケな考え方では味わえない、

痛さだったり後悔だったり、その時得たスキルだったり、人間関係の滋味であったりする。

迷ったらGOという言葉があるけど、

迷いながらも踏み出し、痛い目にあった人であっても、後悔することは無いと思える。

自分を責めたとしても、その後、そういう自分も愛しているんだなぁって思えたら、

すんごく素敵なことだよね。







瞑想した時、まぶたの裏に、先が暗闇の窓がいくつも出てきて、

6つほど窓をくぐった時、

さっきの




「いやいや。やってあげればいいじゃん。

良かったね。これだけ今まで頑張ってきたんだよ。

自分へのご褒美、自分の人生。

自分に投資したり、お金かけていいんだよ。」




という、自分自身への言葉が出てきたの。




自分の心にフォーカスすることがずっと怖かった。




でも、自分の心にアクセスできるのは、

ヒーラーさんとかではなく、自分だけなんだよね。




ヒーラーさんは見つめてアドバイスはしてくれる。

もやを取り払ったり、光を当ててくれたりする。

勘違いに気づかせてくれる。

先のことを示唆してくれたり、励ましてくれる。

エネルギーを送ってくれたり、体をシャンとさせてくれる。

素晴らしい。自分もそうなりたいと心から思ってる。




でも、それらを承認して手放す作業は

自分しが出来ない。




そして、承認して手放すということが出来たら、

怖いものが妄想だったことに気づく。







ひろえんじぇるさんや、とれみにょん姉さんに、心から感謝します。




ありがとう。

★お店にも来てね♪
プロフに書いてあります^^//







ディズニーランドのサービス

2013-10-18 16:27:44 | 気付き
ディズニーランドの創始者、ウォルトディズニーが、

ディズニーランドで使う紙吹雪を作ることになり、立ち合いました。




ウォルトさんが言いました。




形は、マルにしよう。




何故ですか?と周りが聞くと、こう言いました。







「紙吹雪が地上に落ちた時、

子供たちは地面を見るだろう。

その時、丸い紙吹雪が3つ重なって

もしかしたら、ミッキーに見えるかもしれないじゃないか。」







ウォルトさんは、出来た紙吹雪を散らし、

子供のようにしゃがみ、上を向き、

笑顔だったそうです。







だから、ディズニーランドの紙吹雪は丸いのだそうです。













わたしが、ディズニーランドエピソードで大好きなのは・・










昔、ある小児病棟の子供たちが、

ミッキーとミニーに会いたいと切望しました。







しかし、彼らは病状が重いため、

ディズニーランドに行くことは出来ません。







そんなある日、ミッキーとミニーが、

彼らのいる小児病棟にやってきました。




子供たちは大喜び。

病気もふっとぶほど喜びました。




ミッキーとミニーが、

自分たちのために来てくれた!!




それから定期的に、

ミッキーとミニーは、小児病棟に訪れました。







その噂を聞いたある人が、

真相を確かめるべく、ディズニーランドに電話しました。







「ミッキーとミニーを、あの小児病棟に派遣しているとは本当ですか?」










ディズニーランドはこう答えました。







「私どもは、ミッキーとミニーは派遣しておりません。




でも・・もし、




ミッキーとミニーが、あの子供たちに会いたいと思い、

自主的に子供たちに会いに行っているとしたら、




それは私どもの知る限りではありません。」













この言葉を思い出すたび、

毎回胸が熱くなります。










サービスのやり方ではなく、「在り方」。




姿勢ですよね。










サービスが良いのは当たり前。




でも、そこに行く人々は、ディズニーランドの




その目に見えない心意気を感じに行くのだと思うのです。










決して押しつけがましくないサービス。

みんな笑顔で、

大人も子供もミッキーの耳をつけ、

どんなに並んでも待たされても

当たり前のようにそこで楽しむ。




今回ディズニーランドに行き感じたのは、




システムはこれ以上無いほど完璧に、商業として成り立ち、

ある意味付けこむ隙の無いやり方。




でも、サービスは日本一を自負するほど、

前に言ったその「在り方」を見据え、立たせて

すべてはお客様のためにという心意気を崩さない。







この二つの車輪が見事に回り、

みんな安心してディズニーランドに行けるのだと思いました。







わたしの知人はアラフォーに近かったのだと思いますが、

「人生悔いを残したくないから」と言って、

ディズニーランドスタッフとして働いてました。




とても素敵だなと思いました。







これから寒くなり、冬のディズニーランドは、

クリスマスツリーが見事ですよね♪




楽しみですね♪













人はコントロールできましぇーん!!

2013-10-09 20:57:46 | 気付き
昨日、相談員の会議に、夜行く時、車の中で浮かんできた言葉。



サロンとれみにょん姉さんから教わった言葉。



「人はコントロール出来ない。」





その通りだとは思っていたけど、

どっかで子供をコントロールしようと思ってなかったかな。



逆に考えてみよう。



「あたしは人にコントロールされる。」







・・・・・・・

































いやいやいやいや。

無理だよ。やだよ。













「だったらわたしもそうだろ。」









と、車の中の一人ツッコミ。









人はコントロール出来ない。

そして、わたしも人からのコントロールはされない。



何か人に言われて、それに決めたとしても、





決めたのは私だから。





自分しかコントロール出来ないのであれば、



あの人を・・ではなく







「わたしが」

「わたしは」



の世界。







なーんてこと考えて、市役所公民館に着いて、

ちょっと扉の前で待ってたとき、タイプの違うおじさんが近くにいた。

挨拶して、・・・も、

話すタイミングも、話す言葉も、何もない。



そして、あとからもっともっと、

わたしとタイプの違う、イッツアマイウェイというズカズカおばさんが来て、

わたしは仲良くしようとして、挨拶したんだけど、見事にかわされて、

さっきのタイプの違うおじさんが、タイプの違うおばさんに

めっちゃフレンドリーに話しかけて・・







いや、わたしもマイウェイだけどさ。





挨拶ぐらいしようよ。



同じ相談員じゃん。







そして、会議が終わり、もんもんちゃんのまま車に乗り込んだ。











はっ。















行きの車の中で、一人会議をしたから、

早速速攻目の前に来た例題1ってやつ?











いいですかAIさん。







「人はコントロール出来ない。」







はっ。







そうですた。









あの人がわたしをどう思おうが、

わたしがあの人をどう思おうが、



お互い、お互いの気持ちを思う通りに支配は出来ないのですた。





でも、一方通行ではなく。





違う。







自分の表現は自由だから。



わたしがどう表現しようと、

相手がどう表現しようと。



自由。





ならば相手がどうでも、

自分の世界、自分は、気持ちよく挨拶すればいいんだ。



相手がどうであっても。そこで終わりなんだよ。



終わりでいいんだ。







まだまだ深いこのテーマ。





また書くね♪







OK!

お金のエネルギーを感じてみた☆

2013-10-08 16:59:19 | 気付き
当方、車を乗り換えすることになって、

銀行で100万円をおろしました。




で、




お金から出るエネルギーって、どんなもんなんだろうって

100万円を両手で持って、対面してみたの。







そしたら、







涙が出てきた。







モリモリしてくる感情にびっくりしてたんだけど、

諭吉さんの一枚一枚に、手に持った沢山の人たちの

念がこもってるのね。







色んな念があると思うんだけど、

わたしが感じたエネルギーは、




沢山の人々の生きるために一生懸命な、

ダークではない、







「生きるために」







というようなものだったの。







今の日本人の皆さんの、生きるためのツール。




それそのものに、お金そのものはただの紙切れなんだけど、

それが東西南北人の手に渡るたびに、何かが生まれる。




感情、物、ツール、知識、色々。




とれみにょん姉さんから教わった言葉、

お金は愛の花束。




今まで生きてきた中で、こっちに来てくれて何かが生まれてゲットして、
出て行って・・と、お金が沢山循環してくれたからの今がある。








だから、両手に持ちながら、

ただ、

ホントに有難うって言ったの。







これからもよろしくね。

また戻っておいでね♪って。




面白い体験でした♪

気付き

2013-08-10 09:46:17 | 気付き
わたしを囲む人々や現象が、すべて鏡のように自分の姿を映してくれたり、

自分の学びのためにあるべき姿になってくれたりしてることを知った。

魂の深いところで私たちは繋がっていて、それぞれが成長できるようにしてあげてることを知った。

でも、人はコントロール出来ない。

だから、結局自分が変わるしかない。

でも、自分を変えることは、他人をコントロールしようとするよりもずっと簡単なのかもしれない。

その人のために変わるとかではなく、自分のために生きていく。

それぞれが自分を大切に、見つめて、変化していくと、全体が丸くなっていくのかなと思った。

誰かが我慢すると、歪が出る。

ジュースが10杯あって、みんなで飲みたい分だけ取れば、満足に行き渡るのが

宇宙の法則だってどっかに書いてあった。

遠慮すれば、誰かが飲みたくないのに多く飲むことになると。

そういうもんなんだろうなぁ。

自分を変えるというと小難しいように聞こえるけど、

結局、本音に従って直感を信じて生きていくことが一番いいのかなって思った。

だって人を変えられないのであれば、好きなように生きたほうがいいんだもん。

決して人を変えたいと思っているわけでなく、というか、

今まであの子がああなればもっと幸せになれるのにとか考えてきた自分が

昨日一気に恥ずかしくなったから。

自分のものさしや法律で人を見ていた傲慢さに気付いた。

だから、運転しながら泣きそになった。

大好きなあの子の個性を、今までどうしてもっと見てあげられなかったんだろう。

理解しようとしてあげなかったのかな。

自分勝手に生きることと、自分らしく生きることは違うから。

人をありのまま、その価値観含め丸ごと 受け入れて

お互い本音で付き合えたら、それぞれの場で幸せに生きていけるはず。

そんなことに気付かされました。

同時に、反省しました。



長期休みに入られる方、旅行に行かれる方、帰省される方、

暑いですが楽しいことになりますように~^^//