夏休みが、あと一週間足らずで終わろうとしています。
少しホッとしているというより、私の心の中には何かが渦巻いています。。
わたしが最近悲しいのは、
本当は、わたし、森の中で、一人で暮らしていたような人間でした。
本当は、大人しいのに、たぶんいい奴なのに(笑)
子供をしかる時には本気で父親モードになることがあるので、
その声が近所にまる聞こえのはず。
「ふざけるな。そういう言い方していいと思ってんのか?!」・・これ、お父さんの怒り方ですよね。
でも、我が家はパパが全く声を荒げない人なので(叱ることから逃げているともいう)わたしが必然的にお父さんになって怒ることがよくあります。
裏のおじいちゃんなんか、庭仕事しながら、「おっかねえ母親だなあ・・」と思っているでしょう。
「ちがいますよう、本当は、もっといい奴なんですよう・・」と、おじいちゃんの手を握りつつ言いたいところですが、
それも言えず、悶々としています。
そういう暑苦しい毎日を過ごす傍ら、
一方で最近、悟りということについて、自分の中で固まった思いがあります。
少しずつ書いていきたいと思うのですが、
この星、地球の法則、在り方について考えた時、
中庸という言葉が最近浮かぶのです。
中庸とは、徳の中心になる概念(アリストテレス)であり、かつ
かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること
ということです。
陰陽、正負、光と影、上下、プラスマイナス、
片方だけ存在するというものは少なく、大体、両極が存在します。
そして、どちらが良い悪いということではなく、
一言で言うと、要するに、悟りとは、
どちらかに偏ったものを真ん中に戻す働きなのかな・・と感じているのです。
大きなテーマなので、今日はここまで(笑)
みなさんも、考えてみてください。ここからまた広げて考えていきたいと思います。
そして、新月の今、今後のテーマが決まりました。
この間、瞑想している時、目の裏に大船観音さまが浮かびました。
観音様、いつもはわたしの中で微笑んでいらっしゃるのですが、
このときは、はじめて両目から涙をサーーッと流されたのでした。
びっくりしました。
そこで気付いたことがあります。
丁度そのときわたしは、水子さんのことを記事に書いていたところでした。
そして、これを今のテーマにしてみよう・・と思っていたところだったのです。
大船観音様は、子宝としても有名で、ジャガー横田さんなど、お参りしてお子様を授かっておられます。
子供の幸せを願いつつも、多くの堕胎により、沢山の子供が闇の中で殺されているという事実を、慈悲と母性である観音様はとても悲しんでおられると感じました。
これから勉強しながら、少しずつ記事に書いていこうと思いますので、
興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいね。
水子さんについての書籍も、アマゾンで調べましたが、あまりにも少なく、あっても昭和の時のものが多いのです。
少しでも知識が広がり、人々が楽になることを願います。
そして、最後になりますが、ここまで書いて笑ってしまいました。
かたや、子供に疲弊する日々。鬼みたいな顔してるわたし。
そしてかたや、水子さんに対する文献をまとめようとする日々。
これも陰陽なのでしょうか。これでバランスをとっているのかなと思います。
無意識にバランスをとろうとしているのが、わたしたちの在り方ですね。
そして、極に行きすぎて、ハッと気付き、もと来た道を戻ったり、
その極において、冷静に反対のことを考えたり、それについて解釈したりする気付きも、悟りの一つだと思います。
悟りとは、日々の中に、ちりばめられていて、それはとても小さなことですが、
悟りのたびに、わたしたちは中庸に近づくわけですね^-^
ああ・・いいこと書けたかも(笑)
今日も良い日になります。
有難うございました。
少しホッとしているというより、私の心の中には何かが渦巻いています。。
わたしが最近悲しいのは、
本当は、わたし、森の中で、一人で暮らしていたような人間でした。
本当は、大人しいのに、たぶんいい奴なのに(笑)
子供をしかる時には本気で父親モードになることがあるので、
その声が近所にまる聞こえのはず。
「ふざけるな。そういう言い方していいと思ってんのか?!」・・これ、お父さんの怒り方ですよね。
でも、我が家はパパが全く声を荒げない人なので(叱ることから逃げているともいう)わたしが必然的にお父さんになって怒ることがよくあります。
裏のおじいちゃんなんか、庭仕事しながら、「おっかねえ母親だなあ・・」と思っているでしょう。
「ちがいますよう、本当は、もっといい奴なんですよう・・」と、おじいちゃんの手を握りつつ言いたいところですが、
それも言えず、悶々としています。
そういう暑苦しい毎日を過ごす傍ら、
一方で最近、悟りということについて、自分の中で固まった思いがあります。
少しずつ書いていきたいと思うのですが、
この星、地球の法則、在り方について考えた時、
中庸という言葉が最近浮かぶのです。
中庸とは、徳の中心になる概念(アリストテレス)であり、かつ
かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること
ということです。
陰陽、正負、光と影、上下、プラスマイナス、
片方だけ存在するというものは少なく、大体、両極が存在します。
そして、どちらが良い悪いということではなく、
一言で言うと、要するに、悟りとは、
どちらかに偏ったものを真ん中に戻す働きなのかな・・と感じているのです。
大きなテーマなので、今日はここまで(笑)
みなさんも、考えてみてください。ここからまた広げて考えていきたいと思います。
そして、新月の今、今後のテーマが決まりました。
この間、瞑想している時、目の裏に大船観音さまが浮かびました。
観音様、いつもはわたしの中で微笑んでいらっしゃるのですが、
このときは、はじめて両目から涙をサーーッと流されたのでした。
びっくりしました。
そこで気付いたことがあります。
丁度そのときわたしは、水子さんのことを記事に書いていたところでした。
そして、これを今のテーマにしてみよう・・と思っていたところだったのです。
大船観音様は、子宝としても有名で、ジャガー横田さんなど、お参りしてお子様を授かっておられます。
子供の幸せを願いつつも、多くの堕胎により、沢山の子供が闇の中で殺されているという事実を、慈悲と母性である観音様はとても悲しんでおられると感じました。
これから勉強しながら、少しずつ記事に書いていこうと思いますので、
興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいね。
水子さんについての書籍も、アマゾンで調べましたが、あまりにも少なく、あっても昭和の時のものが多いのです。
少しでも知識が広がり、人々が楽になることを願います。
そして、最後になりますが、ここまで書いて笑ってしまいました。
かたや、子供に疲弊する日々。鬼みたいな顔してるわたし。
そしてかたや、水子さんに対する文献をまとめようとする日々。
これも陰陽なのでしょうか。これでバランスをとっているのかなと思います。
無意識にバランスをとろうとしているのが、わたしたちの在り方ですね。
そして、極に行きすぎて、ハッと気付き、もと来た道を戻ったり、
その極において、冷静に反対のことを考えたり、それについて解釈したりする気付きも、悟りの一つだと思います。
悟りとは、日々の中に、ちりばめられていて、それはとても小さなことですが、
悟りのたびに、わたしたちは中庸に近づくわけですね^-^
ああ・・いいこと書けたかも(笑)
今日も良い日になります。
有難うございました。