わたしは、合理的なものを求めるところがあるので、段取りや、これをしている間にあれを・・と、パッパと進むことが好きです。
ですが、新しもの好きで、面白そう☆と思うと、眼を輝かせて飛びつくという習性があります。動物占いがチーターなので、新しいものに向かって走ることが大好き。
その中で、鑑定は、よっぽどの理由がなければ、求めてくださるお客様がいる限り、続けていきたいと思っています。
40歳まで、「言葉で人を励ましてあげたい」とずっと思いつつ、
子育てに専念しつつ、アフィリエイトや、古本屋をしてみたり、お勤めしてみたり、色々してきました。失敗も多々ありました。
そのつど、なにやってんだわたしは・・と思いながらも、方向転換をしながら、ゴンと壁にぶつかったりしながら、生きてきました。
今、こうしてやっと、
自分の足で立てている。。といった感覚です。
そして、個でいることが、わたしの最大の幸せです。
人の気を読み過ぎてしまうので、集団の中にいると、自分の中がとっちらかり、自分が隅っこに追いやられます。その代りに他人がセンターに入り、その人が今どういう気持ちか、集団が今、どのような在り方か、自分はその中でどうしたらいいか・・などと、頭が回り出す。
その経験は、実はとても大切で、それがあるからこそ、人を思いやるとか、自分の在り方とか、色々体験できるわけですね。
最近、ちょっと大きな体験をして、世界観が少し変わりました。
そして、何が一番の収穫だったか・・というと、
「自分の中に、すべてがある。」
ということに気付かされ、そしてまだまだそれは、これから堀り起こされるものなんだということ。
堀り起こすことは、「謙虚」という名のシャベルと、「静寂」という名の土。
「ゆっくり」という名の現場監督と、
そして、
「神の子」という名の、主人公。自分ですね。
静寂の時間を作り、ゆっくりと、謙虚な気持ちで、神の子は、
自分の可能性や素晴らしさを掘り起こしていくということ。
その時間を、こま切れでもいい、作っていきたいです。
人は、いつからでも、本物のスタートを切っていいんです。
89歳でそれに気づき、90歳で亡くなるとしても。
その一年があれば、沢山の実りを手に出来る。
それ位、
「自分」というものをセンターに配置し、
その可能性を信じて、素晴らしさを信じて、
じっと向き合う。称賛していくということ。
結局人は、
自分に認められるため、
今日も頑張っているのです。
自分に認められたら、
他人がなんと言おうと、
もう一度、もっと深く掘っていくことが出来る。
その素晴らしさは、尽きぬことない泉のように出てくる。
なぜならば、
キリストも、ブッダも、みんな、
そのことを体現するために生まれてきてくれたのだから。
先人に感謝します。
今日も、良い日でありますように。。
ですが、新しもの好きで、面白そう☆と思うと、眼を輝かせて飛びつくという習性があります。動物占いがチーターなので、新しいものに向かって走ることが大好き。
その中で、鑑定は、よっぽどの理由がなければ、求めてくださるお客様がいる限り、続けていきたいと思っています。
40歳まで、「言葉で人を励ましてあげたい」とずっと思いつつ、
子育てに専念しつつ、アフィリエイトや、古本屋をしてみたり、お勤めしてみたり、色々してきました。失敗も多々ありました。
そのつど、なにやってんだわたしは・・と思いながらも、方向転換をしながら、ゴンと壁にぶつかったりしながら、生きてきました。
今、こうしてやっと、
自分の足で立てている。。といった感覚です。
そして、個でいることが、わたしの最大の幸せです。
人の気を読み過ぎてしまうので、集団の中にいると、自分の中がとっちらかり、自分が隅っこに追いやられます。その代りに他人がセンターに入り、その人が今どういう気持ちか、集団が今、どのような在り方か、自分はその中でどうしたらいいか・・などと、頭が回り出す。
その経験は、実はとても大切で、それがあるからこそ、人を思いやるとか、自分の在り方とか、色々体験できるわけですね。
最近、ちょっと大きな体験をして、世界観が少し変わりました。
そして、何が一番の収穫だったか・・というと、
「自分の中に、すべてがある。」
ということに気付かされ、そしてまだまだそれは、これから堀り起こされるものなんだということ。
堀り起こすことは、「謙虚」という名のシャベルと、「静寂」という名の土。
「ゆっくり」という名の現場監督と、
そして、
「神の子」という名の、主人公。自分ですね。
静寂の時間を作り、ゆっくりと、謙虚な気持ちで、神の子は、
自分の可能性や素晴らしさを掘り起こしていくということ。
その時間を、こま切れでもいい、作っていきたいです。
人は、いつからでも、本物のスタートを切っていいんです。
89歳でそれに気づき、90歳で亡くなるとしても。
その一年があれば、沢山の実りを手に出来る。
それ位、
「自分」というものをセンターに配置し、
その可能性を信じて、素晴らしさを信じて、
じっと向き合う。称賛していくということ。
結局人は、
自分に認められるため、
今日も頑張っているのです。
自分に認められたら、
他人がなんと言おうと、
もう一度、もっと深く掘っていくことが出来る。
その素晴らしさは、尽きぬことない泉のように出てくる。
なぜならば、
キリストも、ブッダも、みんな、
そのことを体現するために生まれてきてくれたのだから。
先人に感謝します。
今日も、良い日でありますように。。