雄一郎の半生
私の弟が生まれたときは、
今とは違い、自宅での出産でした。
奥の方で、おぎゃあ、おぎゃあと
言う声が聞こえて、新聞紙がかけられた
弟が泣いていました。元気な弟は、
その後もあまり大した病気には
ならなかったと、記憶していますが、
ただ、頭や顔や、体にも今で言う
アレルギーがあり、いつも、包帯を
巻いていました。祖母は、母が
父と離婚し、母は、泊まり込みで出稼ぎの
仕事をしており、家には私たち兄弟と
祖父母の4人暮らしでしたから、祖母は
毎週、皮膚科に弟を連れて電車に乗り
治療に通っていました。
そんな弟ですが、年も5歳離れているからか
可愛くって可愛くって、当時テレビが
普及し、マンガを見ている間も弟に
ちょっかいをだして、よく祖父に
怒られていました。
そんな、大切な弟でしたが、17歳で
事故死する、運命とはこの頃は
誰一人として、知りようもない事でした。
次回につづく