雄一郎の半生

こんな人生もあるのですね。ノンフィクションの半生記
全ては、書けませんが。。。

小学一年生になってからは

2020年11月21日 05時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

しかし、世の中不公平ですね。

私が入学した小学校は3年までの分校でした。

4年生になると本校に入ることになっておりました。

1年と2年の担任の先生は、定年間近の女の先生で

忘れ物をしたといっては、眉間にデコピンされ、

テストが出来なければ、答案用紙を呼び出されて

先生から手渡しで受け取るときに、手渡しせずに

投げられます。そんな先生でした。

私には何故か、風当たりが強く。よく廊下に立たされました。

たぶんですが、私の住まいの向かいにお父さんが校長先生で

お母さんが中学の先生をしているお兄ちゃんの家に良く

遊びに行っていました。しかし、二年生までの担任の先生は

その向かいの先生達とは、何故か仲が良くなくて、私が

遊んでいるのがみえて気に入らなかったのでしょう。

また、同級生にもいじめられました。先生からもよく思われないのが

原因なのか、父がいないのが原因なのか、今でもよく分かりません。

ただ、正義感だけはこの頃からあり、他の子がいじめられていると

中に入ったりしていましたから、いじめっ子は気に入らなかったの

でしょう。ですから、二年生になると知恵が出て、早退をしていました。

おなかが痛いとか、気分が悪いとかの理由で、学校に行っても

直ぐに給食のパンだけもらって帰ります。

しかし、早く帰ると祖母に叱られるので、みんなが帰る時間まで

帰り道からは、外れたジャリ会社の砂山で遊んでいました。

そんなことを繰り返していましたから、勉強も成績が良いわけが

ありません。通信簿(当時の呼び名)は、1と2ばかりで、

出席日数が少なくて、ばれてしまいました。

3年生になると、益々悲惨になっていきました。

次回につづく