雄一郎の半生
しかし、世の中不公平ですね。
私が入学した小学校は3年までの分校でした。
4年生になると本校に入ることになっておりました。
1年と2年の担任の先生は、定年間近の女の先生で
忘れ物をしたといっては、眉間にデコピンされ、
テストが出来なければ、答案用紙を呼び出されて
先生から手渡しで受け取るときに、手渡しせずに
投げられます。そんな先生でした。
私には何故か、風当たりが強く。よく廊下に立たされました。
たぶんですが、私の住まいの向かいにお父さんが校長先生で
お母さんが中学の先生をしているお兄ちゃんの家に良く
遊びに行っていました。しかし、二年生までの担任の先生は
その向かいの先生達とは、何故か仲が良くなくて、私が
遊んでいるのがみえて気に入らなかったのでしょう。
また、同級生にもいじめられました。先生からもよく思われないのが
原因なのか、父がいないのが原因なのか、今でもよく分かりません。
ただ、正義感だけはこの頃からあり、他の子がいじめられていると
中に入ったりしていましたから、いじめっ子は気に入らなかったの
でしょう。ですから、二年生になると知恵が出て、早退をしていました。
おなかが痛いとか、気分が悪いとかの理由で、学校に行っても
直ぐに給食のパンだけもらって帰ります。
しかし、早く帰ると祖母に叱られるので、みんなが帰る時間まで
帰り道からは、外れたジャリ会社の砂山で遊んでいました。
そんなことを繰り返していましたから、勉強も成績が良いわけが
ありません。通信簿(当時の呼び名)は、1と2ばかりで、
出席日数が少なくて、ばれてしまいました。
3年生になると、益々悲惨になっていきました。
次回につづく