閑人閑話クン

『 B級グルメ 』と『 大人の遠足 』重視!
ほぼ下らない話  諸事情により、同タイトル Ⅱにて継続中

富岡製糸場

2014-09-22 11:03:09 | 旅行記・お出かけ



だいたい お天気で予定を組んでいたので



この上信越道の 土砂降りには 参りましたね 




で、急遽 予定変更   富岡ICで降りてしまいます



チビ達には退屈であろう 世界遺産



そう アタシの大好物 世界遺産 



   富岡製糸場へ 寄って行こうと思います 



折角ですので・・ 







すこし離れたコインPへ入れました が 結論 徒歩10秒くらいの真横のPも空車でした・・


団体さんはバスですので 個人客の乗用車は以外と空いてるのかな?


アタシ等は 歩いて7,8分かな  まぁ 街並みも楽しむ意味で 




雨も小雨から  ほぼ止みました   メンバーにいるんか? 晴れ女・・ 








もともと 期待はしてないけれど   折角の世界遺産


まぁ  古い工場  それしかない気はしてますよ ずっと





団体さんは けっこう居ますよ



ガイドさんも ボランティアなんですかね、



大勢いるみたいなので 裏付いて一緒に歩けば 解説付きで良く分かります 







では  WIKIから概要でも引っ張りましょうかね


自分には ただの 古い工場跡  なんで・・・







日本は江戸時代末期に開国した際、生糸が主要な輸出品となっていたが、


粗製濫造の横行によって国際的評価を落としていた。


そのため、官営の器械製糸工場建設が計画されるようになる。






富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、


器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。





そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、


働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。








1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、


1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、


1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能し続けた。






第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、


操業停止後も片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、


繰糸所を始めとする開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている。






2005年に敷地全体が国指定の史跡、2006年に初期の主要建造物が重要文化財の指定を受け、


2007年には他の蚕業文化財とともに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産の暫定リストに記載された。





2014年6月に世界遺産登録の可否が審議され、6月21日に日本の近代化遺産で初の世界遺産リスト登録物件となった。



 







とまぁ   アタシにはただの古い 寂れた工場跡  なんですがね


おわかり頂けましたでしょうかね 







ま  一応  世界遺産 コレクション追加したよ   つう訳で 





先に済んだので




助かったお二方がいる訳で 




Y健氏 Kチューよ・・




   ワシャ~ もう行きたい言わないので        安心して良いぞぃ・・





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