ピンピンころりを目指して!

スポーツで汗を流し、太陽と風と緑の自然の中で過ごし、友との交流でこころ豊かな日々の生活を目指して!

3家族の旅行で湯西川温泉に

2019年10月22日 | 旅行
恒例の家族旅行台風の影響で大雨、強風の中家を出ました。日光氏の奥にある平家落人の里で3家族が集まりました。いつもは4家族での旅行ですが台風の影響で1家族は台風の災害の備えての仕事で今回は欠席。
宿は桓武平氏ゆかりの宿揚羽で宿の中には大きな木彫りの木造等でいっぱいでした。
 
室内も時代を思わせる特別室に泊りました。
 
宿の入り口も時代を思わせる彫刻の飾りがいっぱい。
 
翌日は昨日の大雨とは打って変わって秋空の晴天にさわやかな空気を一杯吸い込んで平家の里を見学、紅葉に包まれた庭園に平家の落人の民が暮らした生活を見て回りました。
 
 
 

金婚式のプレゼント

2019年08月16日 | 旅行
今年結婚50年、子供達からのプレゼントを頂き、奥飯坂温泉に二人で出かけました。那須の別荘に2日間とまりましたが、数日前の大雨の影響で鹿の湯の湯温は42℃でがっかり。翌朝、猪苗代湖経由で安達太良山を散策後に奥飯坂温泉に泊まりました。


塩原の温泉宿に友人と家族旅行

2019年05月22日 | 旅行
明日、恒例の4家族での旅行の前にそのうちの1家族と塩原の温泉宿に宿泊しました。翌日塩原にある「天皇の間記念公園」を見学静かな新緑の中にその建物はありました。




天皇の間記念公園の後にして晴天の中を「竜化の滝」を新緑の中を散策しました。





八幡のつつじが満開

八幡のつつじに通じる吊り橋から茶臼岳が見渡せます

冬空にそびえる牛久大仏と筑波山神社

2017年12月09日 | 旅行
牛久大仏(うしくだいぶつ、正式名称:牛久阿弥陀大佛)は、日本の茨城県牛久市にある ブロンズ(青銅)製大仏立像で、全高120m(像高100m、台座20m)あり、立像の高さは 世界で3番目だが、ブロンズ立像としては世界最大。浄土真宗東本願寺派本山東 本願寺によって造られた。  当日は冬空の青空にそびえ立つ大仏様に感激しました。




筑波山神社
筑波山神社は関東の霊峰「筑波山」を御神体と仰ぎ、約3千年の歴史を有する古社で、境内は中腹の拝殿より山頂を含む約370haにおよび、山頂よりの眺望は関東一円におよび、遠くにはスカイツリーも見えます。





稀勢の里の手形

2017年04月08日 | 旅行
稀勢の里の逆転優勝はテレビで大騒ぎでした。優勝後の牛久駅での凱旋パレードは報道関係のヘリも飛んで大騒ぎだったそうです。昨日その牛久に行きました。稀勢の里との横断幕が駅の付近に張られ、稀勢の里関の手形のモニュメントが駅前に立っていました。

懐かしき海外旅行8・・・東欧の旅3

2017年02月05日 | 旅行
クロアチア
プリトヴィッツェ湖群国立公園
ボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いプリトヴィツェ湖群市に位置するプリトヴィツェ湖群国立公園は、ディナル・アルプス山脈の山間に点在するカルスト地形のひとつ
標高639mの湖から川が流れ下る過程で、石灰華の沈殿により形成された16の湖群と滝が織り成す壮大な景観。

















懐かしき海外旅行8・・・東欧のの旅2

2017年02月04日 | 旅行
ボスニアヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナは、ヨーロッパのバルカン半島北西部の国で、旧ユーゴの国です。ボスニア・ヘルツェゴビナは、北部がボスニア地方、南部がヘルツェゴビナと呼ばれています。・ボシュニャク人・クロアチア人・セルビア人からなる国で、民族間の紛争が長い間行われていた国でもあります。ボスニアの内戦は、今では終結していますが、それでもまだ民族間の溝が残ってたりもするのが今のボスニアなのです。
モスタル

ネレトヴァ川には石橋が建てられる以前から木製の橋があり、モスタルという地名は「橋の番人」を意味するモスタリから来ているそうです。古くから、橋はこの町の中心だったのでしょう。 石橋はいつも大勢の観光客が往来し、橋の左右にはカフェやレストラン、土産物屋などが軒を連ね、活気にあふれていました。南部の中心都市。旧市街を流れるネレトバ川に架かる石組みのアーチ橋、スタリ・モスト(古い橋)は同国初の世界遺産です。橋の石の上に若者が乗り、お金を出すとそこから若者が飛び込むパフォーマンスも見られました。










懐かしき海外旅行8・・・東欧の旅1

2017年02月02日 | 旅行
アドリア海の真珠と紺碧の海と自然に恵まれた東欧の旅は憧れの地でした。残念なことに途中でカメラの記録を消滅しまったことでしたが、予想にたがわず素晴らしい旅となりました。

ドブロヴニク(クロアチア)
ドブロヴニクは15〜16世紀に海運交易都市として発展。
交易港として発展した要塞都市。周囲を強固な城壁で囲まれ旧総督邸、大聖堂など、中世の建築の粋が集まる旧市街は世界遺産。











ホテルからの眺め




懐かしき海外旅行7・・・中欧の旅5

2017年01月09日 | 旅行
ベルリン
ベルリンは私にとって思い出深い都市です。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊した時に私はミュンヘンにいました。その時ベルリン大学にいたハンガリーの女性から電話あり、すぐにベルリンに来いとの事、彼女はハンガリーからの留学生で、ドイツ語の語学学校で知り合いになり4カ月一緒にドイツ語を学んだ仲だった。一週間後私はベルリンに飛びました。空港には彼女とその恋人が迎えに来てくれました。そして1週間ベルリンに滞在、宿泊はベルリン大学の女子寮に滞在して、ハンガリー籍の彼女は東ベルリンに入ると拘束の危険がある為、混乱の東ベルリンに彼女の恋人の案内で散策しました、東ベルリン駅には西ドイツマルクを得るためダフ屋がたくさん集まり、多くの酔っぱらいの男たちがたむろしてました。又、町のいたるところに東ドイツの住人が西ベルリンに流入してもいました。この世紀の瞬間を目撃した記憶は今でも忘れることはできません。
ベルリンの壁の跡

戦時中の写真



ベルリンの壁の跡



ブランデンブルク門
ブランデンブルク門の歴史は1957年に始まります。ベルリンの勢力が強まり、市街地全体を大きく取り囲むようにベルリン税関壁が設けられました。ベルリンと外をつなぐ街道の入り口には関税と門が14つ設置され、そのうちの1つがブランデンブルク門でした。


ベルリン大聖堂
ベルリンを流れるシュプレー川の中洲は博物館島(ムゼウムスインゼル)と呼ばれ、5つの博物館と1つの美術館を有しています。