ホイッスルバード あいざわぶん

感覚麻痺の検察と裁判官

2年前の8月に小田急線内で3名の乗客を次々に襲い、

1週間から3週間の怪我を負わせた事件があった。

 

犯人は「僕だけ割を食っている。貧乏くじを引いている。

あらゆる人が幸せに見え、だから殺してやると思った」と

供述している。

検察は「公共の乗り物内で無差別に襲い、非常に悪質。

最初の女性は執拗に4回も刺すなど残忍」として、懲役

20年を求刑した。

弁護側は「真摯に反省し、謝罪の気持ちも示し、更生の

可能性がある」として、懲役15年が相当と主張した。

東京地裁が昨日出した判決は、「懲役19年」である。

 

殺意があったのだから、重罪なことは私も理解する。

でも、殺意があった割には、その被害は「全治7日から

21日の怪我」なのが幸いしているし、果たして強い殺意

だったのかどうか、わからない部分もあるような気が・・・。

だから弁護側の懲役15年の判断に少しだけ頷ける。

 

時を同じくして、もう一つ大きな裁判の判決が出ている。

交際相手の女性には3歳の男児が居て、犯人は邪魔者

扱いをして熱湯を掛け、死に至らしめた犯罪である。

 

犯行現場に母親は不在で、犯人に殺意があったのかは

犯人が知るのみである。

3歳児に65度~75度のシャワーを全身の90%に掛ける

行為は「殺意がある」と私は思うが、大阪地裁は「殺意は

認定できない」として、検察の求刑「懲役18年」に対して

「懲役10年」の判決を言い渡した。

裁判長は「殺意が無かったとは言え、残酷と言うほかなく、

同種の事件の中でも重いものだ。裁判の中で信用できぬ

供述を繰り返しており、反省の態度も見られない」と、言い

ながら、僅か「懲役10年」なのである。

 

二つの犯罪の判決の重みの違いは、犯人の「殺意」だが、

大阪地裁の裁判官には許せない感情が湧くのは普通の

国民感情・大人の感情なのではあるまいか。

検察の「求刑18年」ですら、そもそも短い、と私は思う。

 

二つの判決を聞いて、強く感ずるのは、検察・裁判官の

「犯罪に対する感覚の麻痺・慣れ」である。

でなければ、これだけ世間の反発を食う判決は出せない

筈なのだ。

 

大阪の検察は直ぐに控訴すべきだ。

傷害致死ではなく、殺人罪を勝ち取らなければ、地獄の

苦しみの中で息を引き取った3歳児が余りに不憫である。

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