●北朝鮮による日本人拉致問題⑮
【2度の日朝首脳会談】
2002年日朝首脳会談
2002年9月17日、内閣総理大臣の小泉純一郎(当時)が北朝鮮の平壌を訪問し、国防委員長の金正日と会談した(日朝首脳会談)。元北朝鮮外交官の太永浩によると、小泉は拉致を認め被害者を帰国させれば100億ドルを払うとしていた。その席で北朝鮮側は、日本人13人を拉致したことを認め、金正日自らが日本人拉致について、「遺憾なことであり率直におわびしたい。私が承知してからは関係者は処分された」と述べ、北朝鮮側としては「実行者は英雄主義に走ってかかた一部の特殊機関の者による行為」とし、関係者はすべて処罰したと説明した。また、「死亡」したとされる8人に関する「死亡診断書」などの情報を提出したが、これらはすべて捏造であったことを日朝実務者協議(2004年11月)で認めた。日朝平壌宣言では「国交正常化の後」、「経済協力を実施」することとなっているが、日本政府は「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」と繰返し述べている。
5人の帰国
その後の交渉で、北朝鮮が生存していたとした5人の拉致被害生存者については、一時帰国を条件に2002年10月15日に帰国が実現した。交渉は外務省アジア大洋州局長の田中均(当時)と北朝鮮国家安全保衛部第一副部長の金詰(キム・チョル)という偽名を名乗る人物(正体は副部長の柳京(リュ・ギョン))の間で行われた。田中は「生きている拉致被害者を4人から5人程度出せばいい」と提案、北朝鮮側が了承し、5人の一時帰国が実現した。
5人の帰国後、日本政府は当人らや拉致被害者家族会の要望などにより、一時帰国した被害者を「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、5人の家族の帰国も要求する方針をとった。このため、北朝鮮側は日本政府に対し「約束違反だ」と主張した。このような北朝鮮当局の抗議により、その後の交渉は、北朝鮮当局が日程を決めないなどした為に中断した。5人を北朝鮮側に帰さないと日本政府側が決めた経緯については、後に当時の官房副長官であった安倍晋三が、自身のフェイスブックで“帰さないという自分の判断は正しかった”と書き込むなど、あたかも自分が進言実現させたことのように述べ、世間的にも広くそのように受けとめられたが、これについて、拉致被害者の蓮池薫の兄である「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の当時副代表であった蓮池透は、この安倍の話を否定し、その著書においてもこの件について触れている。さらに、自民党の地方議員のブログにも、2003年札幌で行われた「安倍晋三先生を囲む会」の席上で、このときはまだ安倍本人が自ら語っていた被害者帰国当時の逸話として、蓮池透の主張とほぼ同趣旨となる話が載せられていた(後に削除)。
帰国した拉致被害者
地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻
蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻
曽我ひとみ
♯北朝鮮拉致問題15
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