父が亡くなってから母親は友人との付き合いも辞めてしまった。
他県に住んでいる友人から久々に電話がかかってきても、夫が亡くなったとは伝えられなかった。
長年文通をしている友人にも、手紙を書けなくなりそのまま縁を切った。
「自分が惨めだと思われたくないから」
父が亡くなってから泣き暮らしていた母はそう言って人を遠ざけた。
「惨め」その言葉を母はよく使った。
「みじめ、みじめ、みじめぇ〜、惨めになっちゃった」とよく歌まで歌っていた。
孤独な母は、自分の気持ちを娘である私に吐くしかなかった。
義父母や親戚への不信感や愚痴、
昔からの友人の悪口、
将来や老後の不安、お金の不安、
過去の辛かったことや屈辱的な体験、等々。
私は母の嘆きを聞いて、慰めたり励ましたりして深夜まで話に付き合うこともあった。
時計の針が夜中の2時をすぎるまで母の話を聞いた時、
私は自分が大人になった様な誇らしい高揚感で満たされた。
母はそんな私を褒めてくれた。
「ヨーコちゃんは、頭がいいから
大人の話でもちゃんとわかるんだよね」
「ヨーコちゃんはパパに似てる、
死んだパパが乗り移って話してくれてるみたい。」
そう言われて素直に嬉しかった。
(お母さんが喜んでくれると私も嬉しい、
お母さんの役に立てて嬉しい、
可哀想なお母さんのためならなんでもしてあげたい。
お母さんに、
元気に幸せになって欲しい…)
当時、精神状態に波のある母がいつか自殺してしまうのではないか、
もしくは病気で死んでしまうのではないかと私はいつも不安だった。
時折見せる母の、母親らしい優しさに、
鼻がツーンと苦しくなって涙が溢れそうになるのを
私は明るく笑って誤魔化した。
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