もしかしたら一度か二度くらいは叩かれたことがあったかもしれないが記憶にはない。
唯一思い出されるのは、小学生の頃
母の逆鱗に触れるようなことをして母を怒らせた時のことだ。
私は、怒り狂った母に家の中で追いかけられ、
追い詰められて学習机の下に潜り込んだ。
そのまま母は私を足蹴にしようと思いきり足をあげたが、
本当に蹴られることはなかった。
子供の頃の母は、祖母から折檻を受けていた。
今で言えば、児童相談所に通報される様な虐待や暴力が当たり前にあった。
母が幼いころ時計を読めなかったというだけで
祖母は罰として、
母を家の柱に紐で動けない様に縛り付け
箒の柄で何度も殴ったという。
1950年代、
親が躾として子供を殴ることはありふれており、祖母は特に厳しい母親だった。
(そして、その祖母はというと祖父から日常的に暴力を受けていた)
そんな中で育った母は、
自分の子供には手をあげないと決めていたという。
母はよく癇癪やヒステリーを起こし
泣いたり怒鳴りまくったりしていたが、
今思えば、それは幼少期のトラウマがそうさせていたのかも知れない。
私は、自分の受けた心の傷についてはずっと母を責め、
母に反省して欲しい、私の痛みを思い知らせてやりたいとさえ思っていた。
けれど、
どうして母が受けた傷について知っていながら、母の痛みには寄り添えなかったのだろう。
子供の頃、母から祖母からの虐待の話を聞かされた時、
祖母に対する不審感と嫌悪感が募っただけで、母の痛みそれ自体については、無頓着だった。
小さな身体を震わせて泣いていた母の姿を想像はしても、
心の底から憐れんではいなかったと思う。
今
私は大人になり、
中年と呼ばれるような年齢になった。
子供を持ちたいと一度も願わなかった私だが、
無邪気に遊ぶ幼い姪っ子の姿を見たとき
初めて、
その姿に幼少期の母の姿を重ね
切りつけられるような心の痛みと罪悪感を感じた。
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