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合言葉はヒュッゲ

映画 「シャイン」に見る父と息子

オーストラリアの実在ピアニスト、デイヴィット・ヘルフゴットの自伝的映画「シャイン」は何度観ても込み上げるものがあります。公開年は1996年。彼が半世紀ほど生きた頃のものですね。

現在75歳となるヘルフゴットの人生は、嵐の中を小舟に乗って岸を探すように激しく、危うい孤独さに満ちていた。

ヘルフゴットは貧しい家庭に育つが、類まれなピアノへの才能を見出され、恩師から無料のピアノレッスンを受け開花。しかし、権威的な父は、ヘルフゴットが自分の範疇から超えて行くことを許さなかった。

アメリカへの留学を阻止され、放心状態となったヘルフゴットに対する父の暴力は酷い。この父は戦争により家族が引き離されたというトラウマを抱え、自分の築いた家族を守りたいという思いが高じ、息子への執着が過剰となり暴君ぶりを発揮する。

ヘルフゴットは父に逆らえず成長し、しかし、周囲の後押しも得てイギリスの王立音楽学校へ留学。それを機に父から勘当を言い渡される。

コンクールでは優秀な成績を残し活躍。しかし、父が愛したラフマニノフのピアノ協奏曲を弾き上げた瞬間、力尽き精神を病む。

ヘルフゴットはその後、精神病院の中で長い闘病生活を強いられ、廃人のように漂う。これは映画の中では明かされていなかったけど、統合失調感情障害だとの診断を受けたらしい。

ピアノによって発病したヘルフゴットが、回復のきっかけをつかんだのもピアノ。
ボランティアでピアノの演奏に来ていた中年女性と知り合ってから。

社会的入院者のヘルフゴットを自分の家に連れ帰り、世話をしながら教会活動に参加。しかし、生活能力のないヘルフゴットとの暮らしに限界を感じ、女性は福祉の力を借りる手筈を整える。

ドクターストップのかかっていたピアノをアパートの部屋で弾けるようになるも、苦情が入りピアノに鍵をかけられる。ヘルフ
ゴットは雨の中ピアノバーへ向かい、そこで腕前を披露し喝采を浴びる。

伝説のピアニストの再起は、新聞ニュースとなりヘルフゴットはみるみる元気を取り戻し、店の二階を間借りするようになる。

そこへ音信の途絶えていた父が駆けつけ、
自分がいかにヘルフゴットを愛していたか
弁明するが、ヘルフゴットはもう父の洗脳から解かれていた。

さみしそうに帰る父の背中は小さく頼りない。子どものまま父親となり、ヘルフゴットを親代わりにしていた愚かで孤独な男。

ヘルフゴットはその後、生涯の伴侶と巡り合い、ピアニストとして活躍し、破天荒ながら幸せな人生を手にする。

ヘルフゴットの生き方、そしてピアノの音。彼の人生は辛く苦しかった。でも、なんて素晴らしいんだろう。

演奏を終え、観客のスタンディングオベーションを浴び嗚咽する姿に私も泣きました。大好きな映画です。

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