私の育った村の生業は殆どが農業。その昔は半農半漁が盛んだったが、埋め立て工事が始まり、漁師たちの海は臨海工場地帯に変身した。
村の家は夏になるとハエや蚊、ノミ、ゴキブリなど害虫被害に苦慮していた。
その対策として、年一度夏に変わる前に床下への消毒が青年団の手で行われていた。
希望をすれば、家の中にも施行できたが、幾分人体にも影響が心配されるため、多くの家庭は床下のみ実施した。
しかし、両親は家の中にも要望した。よって毎年、開け放たれた昔ながらの田の字型の大屋敷に、太いホースから霧しぶきを上げて消毒剤が撒かれた。
母はだらしのない性格だったため、食べかけのおかずの乗った皿や鍋などしまわずに新聞紙をかけて対応した。
そして、消毒が終わってしばらくすると、何事もなかったかのように新聞紙は取り去られた。
床は消毒の跡でベタベタ。臭いも強烈だった。普通、害虫がコロリとお亡くなりになるような薬を台所にかけてその後の清掃もしないでいられるだろうか?
ほんの束の間ハエの姿はなく、両親は消毒の時期のみ結託し、やってもらえば得だからねと話していた。
得ではなく、毒なのに。
そして恐ろしい事に、中学生の頃の私は消毒の日、二階の自室でその時間を過ごしていた。
階段から立ち上る消毒液の臭いに喘ぎながら。
私のアレルギーは、この猛烈な量の殺虫剤から発生したのかもと時折思う。
今更ですがね。