奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

大きな家形石棺が石室の内部に残る古墳は覚えるだけ?・・(^_-)-☆

2024-05-15 19:10:06 | 奈良まほろばソムリエ
こんばんは‥(^_-)-☆



今日の奈良は21℃と少し気温も下がりながら雨が降ってきましたね。

マリア猫はこの頃は一階の寝室の隣の仏間で、朝まではよく眠ります。

今朝も早くに起きて、餌を食べて、すぐに外に出て行きましたが早めに帰ってきてまた布団の上で眠っています。

これを見て私も安心して撫でたいが撫でるのを我慢を?・・

だって、起きると外に出るかも?・・

今日は腰が軽くなったが、転んで打った部分がまだあっちこっち少し痛いです。

少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の11回目の問題です。

3 奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい

(25)明日香村稲淵にあり、明神塚と呼ばれていた墳墓は誰の墓とされているか。 

ア.高向玄理   イ.僧旻   ウ.南淵請安   エ.犬上御田鍬

(26)阿部丘陵にあり、竜山石製の大きな家形石棺が石室の内部に残る古墳はどれか。

 ア.文殊院東古墳   イ.艸墓古墳   ウ.秋殿南古墳   エ.谷首古墳

(27)高取町佐田にあり、草壁皇子の墓と推測される終末期古墳はどれか。

 ア.束明神古墳   イ.カヅマヤマ古墳   ウ.越塚御門古墳   エ.マルコ山古墳

(25)608年、遣隋使小野妹子に従い高向玄理、僧旻ら8人の留学生、留学僧の一人として隋へ留学する。

隋の学問知識を日本に伝え、開塾した。

中大兄皇子と中臣鎌足は○○の塾に通う道すがら蘇我氏打倒の計画を練ったと伝えられる。

○○が伝えた知識が大化の改新に与えた影響は大きいが、彼自身が新政府に加わった痕跡はない。

ヒントは方角が含められた人です。

(26)墳丘周囲には平坦地が巡らされる。

埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、巨石を用いた大型石室であり、南東方向に開口する。

石室の玄室内には兵庫県加古川流域産の成層竜山石製の刳抜式家形石棺が据えられている。

ヒントは、巨石を用いた大型石室で覚えるしかないんですが、古墳は草の字が含まれた古墳です。

(27)この古墳は、高取郡佐田にある古墳。

形状は八角墳。

築造時期は古墳時代終末の7世紀末頃と推定される。

被葬者は明らかでないが、第40代天武天皇皇太子の○○皇子の真陵とする説が知られる。

当該時期の終末期古墳としては、大規模な地形改変の点、墳丘・横口式石槨の規模の点で際立った存在として注目される古墳になる。

明日もお楽しみに?・・(^_-)-☆

今日もいい日でありますように・・(^_-)-☆

(25) ウ   (26) イ  (27) ア
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