こんにちは・・(^-^)
私は26日から4日間法隆寺の夏季大学に行ってきました・・(^_-)-☆
そこで、法隆寺境内の案内図に、ウォーナー塔というのが書かれていたので、見に行きました?
なぜかというと多分ならまほろばソムリエの試験に出たように思ったからです。.
だから、西円堂をお参りして、西門を出て、北に行くと・・(^_-)-☆く
ほぼ西円堂の西側に二つの塔が建っていました・・(^_-)-☆
ウォーナー塔の前に記念碑が建っていましたが読みづらかったので読みませんでしたが?
なんか褒めているなと思いながら帰りましたが?
ウォーナー塔を調べていると尾崎義美さんの記事に出会いました・・(^_-)-☆
それによると・・(^_-)-☆
ウォーナー伝説とは、法隆寺や奈良と関係深い話として、「先の太平洋戦争中、アメリカ政府や軍は、ウォーナー博士の進言に基づいて、京都、奈良、鎌倉などを空襲せず、日本の貴重な文化を守った」というのが、その伝説のもとに・・(^_-)-☆
この話は、敗戦直後から1990年代まで日本全体に広く流布され、今も信じている人は少なくないんですね。
法りゅじをはじめ全国に6か所にウォーナー感謝記念碑が建てられており、法隆寺では、西円堂西側にウォーナー塔として建てられているんですね。
だけど、歴史の真実はというとこの話は、GHQのタイs日政策のために作られた嘘であり、当時の朝日新聞などによって広められた「作られた美談」だったんですね。
1994年になって、アメリカは戦争中の機密文書を公開したが、その資料を吉田教授が分析、研究した結果を論文にまとめて発表したんですね。
ことが空襲に遭わなかったのは、京都は原爆投下目標年であったから通常の空襲は禁止され、奈良・鎌倉は小都市であり、軍事施設が少ないから爆撃の順番が遅いほうにリストアップされ、実行前に日本が降参しただけなんですね。
ウォーナー博士は、日本美術専攻し、ならでは、仏教彫刻を学び、ハーバード大学美術館の東洋部長だったんですね。
だけど、奈良でも1945年5月に2回の空襲があったんですね。
だから、文化財を守るために空襲を避けたというのは事実じゃありませんよね。
では、なぜこんな美談が広められたのか?
日本を占領したアメリカは、軍国主義を否定するとともに親米的な感情を作り出すために意図的に作り出されたのが、ウォーナー伝説だったんですね。
1955年に、ウォーナーが亡くなると日本政府は勲二等瑞宝章を授与、奈良県議会では、弔問決議などの追悼行事が行われたんですね。
サランび、法隆寺をはじめ顕彰碑が各地で作られたんですね。
だけど、ウォーナー博士は、最初から「自分が政府に、ことを爆撃しないよう働くかけたことは一度もない」と言い続けてきたんですね。
そして、1974年に博士の孫娘が来日して、鎌倉の「博士の遺徳をしのぶ会」であいさつした時も祖父はずっと否定し続け、何の力にもなっていないと話していた、と述べている。
だけど、嘘でつづられた歴史があることを知ってちょっと残念でした・・(^_-)-☆
毎日パソコン使う?
私は4つのブログをアップしているし、そこに関わるともに手入れするので、一日に4~5時間ほど触っているかも?
私を遊んでくれるものかなあ?
だから、パソコンで何かあるとすぐに買い換えますよ・・(^_-)-☆
だから今で、6代目ぐらいかなあ?
だけど、私はブログアップだけなので、難しいソフトは欲しくないですね・・(^_-)-☆
少しも使っていません。
ソフトの入れ方もどんどん変わってきましたね?
だけど、私の最大の遊び友達です・・(^_-)-☆
明日もいい日でありますように・・(^-^)