江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

あらためて資本主義システムの中に生きてることを考えたい

2013-08-08 | 随想
マルクス主義に熱中した青春時代。
経済を専門的に勉強していたわけでもないのに「近経」と「マル経」を対立してとらえ、前者を否定していた。

今は過渡期社会で、いずれ革命が達成されれば理想経済社会が成立する。
そう、労働者は必要なだけ働き必要なだけ金銭を得る…という理想社会だ。
あくまでも今は仮の社会、資本主義はやがて必然的に崩壊する…。

だから、当時の「社会主義国」はあくまでもカッコ付き。
たしかに人民公社やコルホーズ・ソホーズ等は一定の改革措置であり、大きな実験であった。
しかし、貧困は解消されることなく続いた。
「社会主義国」でも物乞いして生きる人々は存在した。
本当の社会主義が確立すれば有り得ない話だ。

これは、本当の社会主義ではない。
私たちが求めているのは、誰もが豊かに暮らしていける社会なのだ。
悶々として過ごしてきた数十年。

その間にも憎き資本主義はドンドン発展し、それこそ過剰な商品を産み続けた。
いつまでたっても資本主義は崩壊しない。
かと言って、生産手段を労働者が奪って生産力を向上させても公平な分配など期待できなかった。
これは、単に労働貴族の存在のせいなのか…。
いや、世界同時革命が達成されないから資本主義の悪弊を排除できないのだ…。

どう考えても理想社会を実現させる現実的手段が見つけられなかった。

そうこうしているうちに、資本主義はグローバル化して新自由主義という妖怪のようなものを生み出した。
貧富の格差は一層拡大して全世界化した。
それこそ理論的には世界同時革命が為されなくてはならない状況である。

しかし、若い頃のように理想論ばかり語っていても何も改善されない。
道は遠くても目の前の現実をしっかり見つめ、地に足のついた実践をしていこうと思う。
志を同じくする人たちとは協力連携しながら、考えの異なる人たちとは何が共有できるか模索しながら進めないものだろうか。

今、スペインで「お金がなくても豊かに生きる」取り組みが拡がり始めているようだ。(週刊金曜日953号参照)
住民同士でお金を使わないでサービスのやり取りをする「時の銀行」というシステムだ。
自分が無償で提供できるサービスを登録しておき、サービスに費やした「時間」を預金として貯え、自分が必要なサービスを受ける時に使えるというわけだ。
こうした「時の銀行」がマドリードやその郊外に少しづつでき始めているということだ。

また、「ソーシャルマネー」いわゆる地域通貨もあちこちで生まれて使われている。
これは、独自Webサイトや物々交換市、有機野菜市、エコ商品市などで利用できるものである。
利用者はソーシャルマネーの「手帳」を持ち、これに物やサービスを売買した記録を記入していくというものだ。
要するに現金がなくても地域で提供される物やサービスはソーシャルマネーで購入できるのである。

これらは資本主義システムの中で、お金に頼らない人のつながりでの可能になった実践である。
日本でも地域によってこれと似たような取り組みをしている所もある。
日本ではまだまだ一般化しているとは言えないが、世界に目を向けてみると各地で様々な取り組みがあるようだ。

長時間勤務が恒常化している日本。
「時の銀行」に預金すればどれだけのものになるのか…。
消費し切れない程の過剰な商品を産み出す一方、毎日の食べ物さえ入手困難な人々が増えている現実。
いわゆる格差社会が眼前にあるにもかかわらず、人々は自らが当事者にならない限りそれを意識しないでひたすら働く。
働くことをやめたら一気に貧困が舞い込むことを恐れている姿にも見える。

私たちは今、資本主義社会の中に生きている。
それはある意味「必然的」にそうなってきた歴史もある。
ここで自棄になってはならない。
目の前の現実を少しでも住み良く豊かになるように変えていこうと思う。
そのために少しは「経済」の勉強もしなくてはならない。


<西>




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