10月28日の東京新聞・社説に、明治の初めに福沢諭吉と森有礼の間で「education」という英語をどう日本語に翻訳するか論争したという逸話が載っていた。
福沢は「開発」という言葉を当て、子どもたちが生まれつき持つそれぞれ違う能力を、そのまま引出し花開かせてあげること。
森は「教育」という言葉を当て、国や社会の理念に沿って教え育てていくこと。
結果的に「教育」が採用され、森は初代文部大臣に就任するのであるが、educationの概念がここで形成され今日に至ってるのは残念である。
社説は、「今の時代に必要なのは『開発』の方かもしれません」と、混迷低迷を深める政治・経済状況下にあって「声だけ大きな人たちの、空虚な言葉に身を任せようとしています」と警鐘を鳴らしている。
つまり、森が翻訳した「教育」理念では、「原発がなくなったらどうするの」「経済が落ち込んだらどうするの」「この国をだれに導いてもらえばいいの」とだれかに「いただく」ものになってしまう。
実は、この社説子は「開発」としているが、福沢諭吉の著した「文明教育論(明治22年)」によると、次のような一説がある。
「学校は人に物を教うる所にあらず,ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず,よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして,能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」
ウェブスター等の英英辞典による定義も「教育」なる概念より「開発」や「発育」的概念が強く、諸外国の定義も日本のような「教育」概念とは異なるものが一般的なようだ。
このことは、今、あらためて考え直してもよいのではないか。
少なくとも、学校教育をはじめとして「教育」という言葉で表現される中身を問題にするとき、「教育」的概念を取っ払った地点に立つことを前提にしなければならない。
そうであるならば、「公教育批判」等は自明のことと言わなければならない。
幸か不幸か3.11が創りだした今日の状況は、私たちが置かれてきた国家や社会との関係性を根本から見直すことを求めている。
その意味で、もう「教育」はいらない! と心の中で叫びたい。
<すばる>
福沢は「開発」という言葉を当て、子どもたちが生まれつき持つそれぞれ違う能力を、そのまま引出し花開かせてあげること。
森は「教育」という言葉を当て、国や社会の理念に沿って教え育てていくこと。
結果的に「教育」が採用され、森は初代文部大臣に就任するのであるが、educationの概念がここで形成され今日に至ってるのは残念である。
社説は、「今の時代に必要なのは『開発』の方かもしれません」と、混迷低迷を深める政治・経済状況下にあって「声だけ大きな人たちの、空虚な言葉に身を任せようとしています」と警鐘を鳴らしている。
つまり、森が翻訳した「教育」理念では、「原発がなくなったらどうするの」「経済が落ち込んだらどうするの」「この国をだれに導いてもらえばいいの」とだれかに「いただく」ものになってしまう。
実は、この社説子は「開発」としているが、福沢諭吉の著した「文明教育論(明治22年)」によると、次のような一説がある。
「学校は人に物を教うる所にあらず,ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず,よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして,能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」
ウェブスター等の英英辞典による定義も「教育」なる概念より「開発」や「発育」的概念が強く、諸外国の定義も日本のような「教育」概念とは異なるものが一般的なようだ。
このことは、今、あらためて考え直してもよいのではないか。
少なくとも、学校教育をはじめとして「教育」という言葉で表現される中身を問題にするとき、「教育」的概念を取っ払った地点に立つことを前提にしなければならない。
そうであるならば、「公教育批判」等は自明のことと言わなければならない。
幸か不幸か3.11が創りだした今日の状況は、私たちが置かれてきた国家や社会との関係性を根本から見直すことを求めている。
その意味で、もう「教育」はいらない! と心の中で叫びたい。
<すばる>