江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

大人も子どもも民主主義を学ぼう!(7)ー自分の場における民主主義の実践ー

2024-09-15 | 随想
話を元に戻して考えてみます。
日本は世界の多くの民主主義国家に遅れながらも、ようやく選挙権が18歳まで引き下げられたのだが、期待通りには若者の投票率が伸びませんでした。
例えばドイツと比べると、その較差に愕然とさせられます。

もっとも、日本においては若者に限らず全ての年齢層でも投票率は低いのが常です。
選挙制度の違いもあるし、また、投票率だけで政治への関心度や民主主義の成熟度を測るのは無理があるとは思いますが、その指標の一つにはなり得るはずです。

そういう前提に立ちつつも何故だろうと考えざるを得ません。


私はこの国の教育に問題があると仮定して、歴史的経過とそれに絡む教育の在り方を振り返ってきました。
当然のことながら公教育を取り仕切る文部省(文科省)の権力性と、それに対応する教員の在り方も問題視してきました。

すると、見えてきたものは学校という狭い枠組みだけでは解決できない実情でした。
元、子どもだった大人たち自身がどれだけ民主主義に寄与しているか、いや、自ら民主主義を実践しているかが問われているという事実に突き当たりました。

言いかえるなら、異なる他者同士が議論し合いながら前へ進んでいるか否かということです。


繰り返し問わざるを得ませんが、仮にこの国の老若男女の選挙における投票率が飛躍的に上昇したらこの国の民主主義は立派に成熟したと言えるでしょうか?

答えは当然ながらノン!ですね。

投票率のことを問題にする私を含めた多くの人の発想の裏には、もし、投票率が上がれば現状とは異なる政府を始めとした政治の刷新が可能かもしれない…という主観的願望があるのかもしれません。

しかし、どんな価値観を持った人々がどんな政治家を選び出すかが問題なのです。
例えば、先の都知事選挙でYouTubeなどのSNSをフルに活用して多くの若者の支持を引き寄せた石丸候補の政治のやり方や思想性は凡そ民主主義とは異なるものだった様な気がします。

さらに話を世界まで広げるなら、アメリカのトランプ氏やヨーロッパの極右政党が熱狂的な支持者に囲まれて勢力を維持・拡大しているし、失業や貧困にあえぐ労働者や青年層にも一定の支持を得ています。

第一次世界大戦後のドイツにおけるワイマール体制からヒットラーのナチスが生まれたという事実から学ぶものは多くありますが、要は政治の力で国民が安心して生活できる環境をつくり得るかが重要な問題です。
民主主義を装って独裁や専制国家に進むことはあり得る話です。

日本の様に民主主義の制度に基づいて形だけを整えても、その中できちんと論議されずに閣議決定で全てを決めていくというパターンが定着してしまっては民主主義は死も同然です。

そして、問題なのは、自分たちが選んだ政治家がきちんと民主主義に基づいた活動をしなくても批判や糾弾をしない有権者があまりに多いことです。
この現象は、選挙に行かずに政治を相対化して眺めているだけの有権者と相まって、主権者としての責任を放棄することになります。

一気にナチズム化することはなくても、これが慢性化すると実に恐ろしい状態に帰結することになります。
敢えて積極的に支配されることを求めなくても、主権者としての意識を持って行動しないと、結局は支配される構図にはまっていくのです。


この論理を突き詰めていくと、禅問答の様なものになってしまう可能性がありますが、逆に言うなら、どこから入っても民主主義を実践する意識さえあれば、理不尽な被支配者にはならずに済むのではないでしょうか。

例えば、政府がおかしなことを押し付けてきたらノンと言い、それを周りの人にも話せば問題の輪が広がります。
また、日常生活の中で直接に政治とは関係ないことでも、自分の考えをきちんと話し相手の話も聞くことで議論が成立します。
こうした小さなことの積み重ねが民主主義を成熟させることに繋がります。


最後に、民主主義の何たるかを分かっていない議員の事例を一つだけ紹介しておきます。

自民党の党首選挙で「同じ穴のムジナ」の9人が討論していますが、その中で小林鷹之氏は「選択制夫婦別姓」について以下のようにコメントしています。
「社会のコンセンサスが形成されてない中で、早急に(導入)決断することは、政治のあり方として適切ではない。」

一見すると特に問題のない発言のように聞こえるかもしれませんが、「社会のコンセンサス」という言葉をもって自分から切り離し、自分が考えることを放棄しているのです。
少なくとも討論の中で話す文言ではありません。
自分はどうなのか、制度化に賛成なのか反対なのかをきっちり発言すべきです。

こういう発言は他者に深読みしてもらって初めて分かるものです。
要するに反対と、単刀直入に言うと後々問題になるかもしれないから社会のせいにしているのでしょう。
仮にコンセンサスが形成されてなかったら、自分はどのように考えてコンセンサスを形成しようとしているのかを述べる必要があります。
それが政治家の最低限の責任です。

さらっと、見過ごされがちなこうした政治家の文言こそ主権者は見逃してはなりません。
悲しいかな小林氏が民主主義を実践できないのは、それがどういうものなのかが分かっていないからからです。


こういう政治家を生み出さないためにも、主権者は賢くなる必要があります。
その結果、投票率が上がれば民主主義は少しずつでも前進します。


私は、私の場において実践します。
民主主義を…。

(おわり)



<すばる>




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