江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

大人も子どもも民主主義を学ぼう!(6)―主体的で対話的な深い学び―

2024-08-17 | 随想
「和を以て貴しと為す」という風土が一定程度根付いた日本においては、論議するより協調することが良しとされがちです。
敢えて争うことなく穏やかに日常生活を送れたら何よりですが、対立するのを恐れて我慢したり無理やり従わされるのは本意であるはずがありません。

ところが、この国では同調圧力や忖度という目に見えない力がはたらくことが少なくありません。
そうです。論議することが避けられタブー視される社会が構成されます。
こうして作られてきたのが保守的社会とも言えます。

これが地域社会のみならず学校にまで浸透しているのが現実です。


文科省を頂点とした教育行政においても、その他の行政同様に上意下達の構造が根付いており学校現場の大人たちも保守的構造から自由になれていません。
そんな大人(教員)が子どもの前に立った際、自由に論議することを基調とした民主主義教育を実践するのは容易ではありません。

ところが、文科省は2017年に思い切った文言を使って子どもに「自由」を投げかけたように見えました。
指導要領の改訂で「主体的で対話的な深い学び」というキャッチフレーズで現場にハッパをかけてきたのです。

実は私の個人的な思いやそれまでの実践からすると、これこそ私が実践したりしようとして圧力をかけられてきた教育論だったのです。


私は低学年であっても、子どもたちが自由に話し合いながら課題にせまる授業を実践してきました。主に社会科や道徳を中心に行いました。
論点を定め自分の生活をふまえながら話し合いをさせた授業は白熱を帯び、子どもたちが大好きな授業でした。
これは、文科省が言っている「・・・学び」であると同時に、子どものみならず教員にとっても楽しい学びでした。

反対にそれを実践して圧力がかかった事例もあります。
最後の授業として位置づけ、子どもたち自らが考え話し合って作り上げつつあった「卒業式」の形態が地域の保守勢力の介入によって潰された例です。
この際、現場の名誉のために述べると、校長はじめ教員たちは精神的には応援してくれましたが、
地域保守(自民党タカ派)勢力に後押しされたごく一部の保護者たちが私を執拗に攻撃して混乱を引き起こしたのです。


このことを考えると、果たして文科省が唱えるキャッチフレーズは本当に信用できる中身なのかは大いに疑問が残ります。
それというのも、この改訂指導要領では、同時にプログラミング教育や外国語教育、そして悪名高き「道徳」の導入を図ってきたからです。

さらに、「主体的で対話的な深い学び」の説明やその後に示された指導例を見る限りにおいて、指導法は雛形に押し込まれるような決めつけでした。
実際にそれに則った授業というものを見たのですが、単に形だけを整えているだけで子ども自身が主体的・対話的な学習をしているようには思えませんでした。


やっぱり権力が教育に絡むことで、民主主義をつくりあげる作業は挫折を余儀なくされる可能性が大であるのが実情です。
「対話的」という文言で大いに子どもたちが論議できる土俵ができたかと思いきや、論議の在り方まで規制された中では実現できません。


本稿が主権者教育や政治教育という範疇から始まったことをふまえるなら、前述のような教育では全く意味をなさないばかりか、子どもたちの意識は育っていくはずがありません。
まずはしっかり大人が権力から解き放たれ、自由になってこそ民主主義が始まるのです。

(つづく)



<すばる>


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