江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

私と「道」の関係(2) ー 道普請ー

2024-05-05 | 随想
幼い頃の道にまつわる話はまだまだ沢山あるが、もう一つだけ紹介するとしたら「道普請」のことだ。

今でも地域によってはこの地域協働活動とも言うべき「道普請」はあるようだが、私の子どもの頃は頻繁に行われていたのを記憶している。
現代においてはこうした活動には、申請することによって何がしかの便宜を図る自治体もあると聞くが、少なくともあの時代の我が集落にはなかったと思う。

何故、そう考えるかと言うと、その活動に参加できない家庭は「出不足金」として労働力の代わりに金銭を拠出する制度になっていたからだ。
私の家は大家族なので主に祖父が出ていたが、母の実家は当時では珍しいサラリーマン一家だったので毎回「出不足金」を支払っていた。

私はその「道普請」に興味があり、よく作業を見学したことがあるが、道端に延びた雑木を切ったり草を刈ったり、道路の凸凹をシャベルで修復したりしていた。
この活動のためなのか、集落の何ヶ所かに砂や砂利を小山にして保管してある場所があった。

普段は農作業に勤しむ農家の人たちが、この日ばかりはいつもの鍬や鎌やリアカーを使って手際良く作業している様子は見ていて面白かった。
ほとんどが男の人たちだったが、中には病気がちな夫に代わって頑張る女性の姿もあったのを覚えている。

こうした活動が年に何回か行われていたが、やはり農閑期だったように思う。
そして、作業が終わるとちょっとした宴会のような事もやっていたようだ。
おそらく、その費用は出不足金で賄われたものと考えるが、はっきり聞いたことはない。

しかし、その道は町道(公道)であり役所が維持管理すべきなのだが、地域(部落と称していた)の自主的活動で維持されていたのは、当時の農村では珍しくなかったのかもしれない。

私たちは、「道普請」できれいになった道を駆け足や自転車で走るのも気分が変わって楽しかった思い出がある。


(つづく)



<すばる>

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