大風 「享保日記」享保三年二月十日 天気編
2021年11月27日 土曜日 天気 晴 寒
「享保日記」 享保三年二月十日
「享保三年戌戌二月十日夜九つ過、御領分東野、寺田両村大風ニて民家貮百四十軒吹潰レ、人三十七人怪我、外ニ四人死ス。其外馬三疋死ス。光り物有テ其すさまじき言語ニのべがたき由也ニ、龍まきと云なるべしと申候。右之段早速御郡奉行塙清左衛門御奉行衆へ被②申出①候。御城下ハ風雨也。九つ過ニいな光有テ、雷ノ音三度有り。風初ハにし南にて、九つ時ニ辰巳ニかハり大風ニも可Ⓥ成と在候間ニ、早速風雨止、晴天ニ成ル。此節所々脇々ニ大風ニて大木ヲ吹切、行衛なく失セ候ト云。
寺田村ハ少□□(ムシ)事ニて、家五六百潰レ候由。東野ニ而相果候者四人之内一人ハ樫村之者來而死候由也。此事ニ付むかしも如Ⓥ此事有Ⓥ之と前方御聞候由、圓通寺和尚ノ被Ⓥ迎候。今ほど(ママ)八十年ほど以前ノ事と被Ⓥ在候。太田ノ近所田渡村にて、龍まきにて民家七十軒ほど、壽松院と云寺ノ客殿其外不Ⓥ殘風ニ吹とられ、或つぶれ候由。寺ノ中間、夕飯ヲ給候が、明りくらく成候付、めし椀トはしヲもちながら戸ヲ明ケ見候と風ニ吹あげられ、大山ヲ越、隣郷長谷へ落候由。
此時榎ノ枝ニ鼻之あなヲ引かけ引さき落命ニハさハり無Ⓥ之。此節七十年ほど以前と云けれバ、只今迄ハ八十年ほどと被Ⓥ在候由物語也。」二月十日の天気を検証。
「テータ変換」
年月日 享保三年二月十日 → 1718年3月11日
場所 水戸 → 水戸
天気種類 御城下ハ風雨也。九つ過ニいな光有テ、雷ノ音三度有り。風初ハにし南にて、九つ時ニ辰巳ニかハり大風ニも可Ⓥ成と在候間ニ、早速風雨止、晴天ニ成ル。此節所々脇々ニ大風ニて大木ヲ吹切
→
水戸城
風雨。午前0時過ぎ雷三度
風向きと天気 午前0時前 → 南 大風で大木を折る
午前0時頃 → 東南・直ぐ風雨止み晴れ
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)
享保三年二月十日 → 1718年3月11日
弘前 小雨
八戸 晴
盛岡 曇
日光 雨
東京 曇(雨)
関山 晴
伊勢 雨
池田 雨
津山 晴
諫早 曇
古天気学データベース(KTDB)
弘前 陰晴 夜中小雨
日光 雨
「検証結果」
年月日 享保三年二月十日 → 1718年3月11日
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)天気記録有
場所 水戸市 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)水戸市の天気記録無
天気の種類 不明
「データ整理」
享保三年二月十日 → 1718年3月11日
弘前 小雨
弘前 陰晴 夜中小雨
八戸 晴
盛岡 曇
日光 雨
東京 曇(雨)
関山 晴
伊勢 雨
池田 雨
津山 晴
諫早 曇
「検証結論」
東京と日光と水戸の関係
A(2-東・日-水)確率(KDB1967~1997・31)3月K東京--K日光--水戸(データ総数930)
東京と水戸の関係
B(1-東)確率(KDB1967~1997・31)3月K東京--水戸(データ総数930)
日光と水戸の関係
B(1-東)確率(KDB1967~1997・31)3月K日光--水戸(データ総数930)
上記の確率の高いデータを摘出する。
東京と日光と水戸の関係
A(2-東・日-水)確率(KDB1967~1997・31)3月K東京--K日光--水戸(データ総数930)
<確率の高いデータ><実際のデータ符号>
東京曇雨・日光雨・水戸雨晴 一致するデータ無
東京と水戸の関係
B(1-東)確率(KDB1967~1997・31)3月K東京--水戸(データ総数930)
<確率の高いデータ>
東京曇雨・水戸曇雨 55.2% (154-85) TD16.6%
<実際のデータ符号>
東京曇雨・水戸晴雨 2.6% (154-4) TD16.6%
日光と水戸の関係
B(1-日)確率(KDB1967~1997・31)3月K日光--水戸(データ総数930)
<確率の高いデータ>
日光雨・水戸雨 75.0% (20-15) TD 2.2%
<実際のデータ符号>
日光雨・水戸晴雨 一致するデータ無
上記より、水戸の天気は、曇雨 です。(確率の高いデータを水戸天気年輪標準木とする。Hb(→M)
享保三年二月十日 → 1718年3月11日
日光 雨
水戸 曇雨 Hb(→M) 実際の天気 雨晴
東京 曇雨
沢山のデータを集めて傾向を確かめてみる。
昔の天気は大変面白いですね。
茨城県水戸市での大変貴重な天気資料です。
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