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大風 「享保日記」享保三年二月十日 天気編 Ⅱ

2021-11-28 18:47:04 | 古天気学

大風 「享保日記」享保三年二月十日 天気編 Ⅱ  

2021年11月28日 日曜日 天気 晴 寒寒   
    
「享保日記」 享保三年二月十日

「享保三年戌戌二月十日夜九つ過、御領分東野、寺田両村大風ニて民家貮百四十軒吹潰レ、人三十七人怪我、外ニ四人死ス。其外馬三疋死ス。光り物有テ其すさまじき言語ニのべがたき由也ニ、龍まきと云なるべしと申候。右之段早速御郡奉行塙清左衛門御奉行衆へ被②申出①候。御城下ハ風雨也。九つ過ニいな光有テ、雷ノ音三度有り。風初ハにし南にて、九つ時ニ辰巳ニかハり大風ニも可Ⓥ成と在候間ニ、早速風雨止、晴天ニ成ル。此節所々脇々ニ大風ニて大木ヲ吹切、行衛なく失セ候ト云。
寺田村ハ少□□(ムシ)事ニて、家五六百潰レ候由。東野ニ而相果候者四人之内一人ハ樫村之者來而死候由也。此事ニ付むかしも如Ⓥ此事有Ⓥ之と前方御聞候由、圓通寺和尚ノ被Ⓥ迎候。今ほど(ママ)八十年ほど以前ノ事と被Ⓥ在候。太田ノ近所田渡村にて、龍まきにて民家七十軒ほど、壽松院と云寺ノ客殿其外不Ⓥ殘風ニ吹とられ、或つぶれ候由。寺ノ中間、夕飯ヲ給候が、明りくらく成候付、めし椀トはしヲもちながら戸ヲ明ケ見候と風ニ吹あげられ、大山ヲ越、隣郷長谷へ落候由。
此時榎ノ枝ニ鼻之あなヲ引かけ引さき落命ニハさハり無Ⓥ之。此節七十年ほど以前と云けれバ、只今迄ハ八十年ほどと被Ⓥ在候由物語也。」二月十日の天気を検証。

「テータ変換」

年月日 享保三年二月十日 → 1718年3月11日 


水戸城下 →

風雨。午前0時過ぎ雷三度
  
風向きと天気 午前0時前 → 南 大風で大木を折る
       午前0時頃 → 東南・直ぐ風雨止み晴れ 

東野村(只今・現在の場所不明調査中・県中南?)
寺田村(只今・現在の場所不明調査中・県中南?) →

午前0時過ぎ大風
民家貮百四十軒吹潰レ、人三十七人怪我
寺田村家五六百潰レ候

雷と竜巻が発生した。

日光や江戸での現在被害が無い為、茨城県だけの被害?


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