古天気学 A

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大風 「享保日記」八十年前を検証 天気編 

2021-12-02 18:49:51 | 古天気学

大風 「享保日記」八十年前を検証 天気編   

2021年12月2日 木曜日 天気 晴 寒寒
    
「享保日記」 八十年前

「享保三年戌戌二月十日夜九つ過、御領分東野、寺田両村大風ニて民家貮百四十軒吹潰レ、人三十七人怪我、外ニ四人死ス。其外馬三疋死ス。光り物有テ其すさまじき言語ニのべがたき由也ニ、龍まきと云なるべしと申候。右之段早速御郡奉行塙清左衛門御奉行衆へ被②申出①候。御城下ハ風雨也。九つ過ニいな光有テ、雷ノ音三度有り。風初ハにし南にて、九つ時ニ辰巳ニかハり大風ニも可Ⓥ成と在候間ニ、早速風雨止、晴天ニ成ル。此節所々脇々ニ大風ニて大木ヲ吹切、行衛なく失セ候ト云。
寺田村ハ少□□(ムシ)事ニて、家五六百潰レ候由。東野ニ而相果候者四人之内一人ハ樫村之者來而死候由也。此事ニ付むかしも如Ⓥ此事有Ⓥ之と前方御聞候由、圓通寺和尚ノ被Ⓥ迎候。今ほど(ママ)八十年ほど以前ノ事と被Ⓥ在候。太田ノ近所田渡村にて、龍まきにて民家七十軒ほど、壽松院と云寺ノ客殿其外不Ⓥ殘風ニ吹とられ、或つぶれ候由。寺ノ中間、夕飯ヲ給候が、明りくらく成候付、めし椀トはしヲもちながら戸ヲ明ケ見候と風ニ吹あげられ、大山ヲ越、隣郷長谷へ落候由
此時榎ノ枝ニ鼻之あなヲ引かけ引さき落命ニハさハり無Ⓥ之。此節七十年ほど以前と云けれバ、只今迄ハ八十年ほどと被Ⓥ在候由物語也。」八十年ほど以前の天気を検証。

「年の検証」

1718年(享保三年)-80年=1638年

「テータ変換」

年月日 1638年 → 寛永十五年

場所  太田ノ近所田渡村 → 常陸太田市田渡町
    壽松院      → 常陸太田市田渡町335 
    長谷       → 常陸太田市長谷町

天気状況 竜巻が発生し、民家七十軒の被害。
     壽松院の寺の一部が大山を越えて1㎞先の長谷に落ちた。

 

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)データなし


古天気学データベース(KTDB)

寛永15年1月1日 → 1638年2月14日

 江戸時代の歴史書「天享吾妻鑑」江戸、明け方より、乾いた風が木が折れよとばかりに吹き付け、土煙が立って闇夜のようだ。石や砂が飛んで顔を打ち、細かな埃が目に入り、一寸先も見ることが出来ない。(中略)激しく雨が降っている。お年寄りが言うには、このような大風は聞き伝えていない。家屋は破損され、上下とも難儀をしている。この大風による具体的な災害の記録はないが、百年来の大風とあり、多くの家屋が損壊したものと思われる。

「検証結論」

寛永15年1月1日の江戸の記録と常陸太田市の記録が一致するのではないか。

昔の天気は大変面白いですね。

茨城県常陸太田市での大変貴重な天気資料です。 


     



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