これまでの130冊の作品の中で一番大切な記録です。画像はあまり良くないのは、
とても暗い窪地で撮影しなければならなかったからです。
ルリビタキの若いオスでペロやんと名付けました。私が持ち込む餌を
ペロリと食べてしまうことから、そのような名前になりました。
今からほぼ7年前のことです。私達が第一砂防ダムと名付けている窪地に
この鳥がやってきました。私は、この子と友達になりたいと思って、
口笛を吹き続けました。それと同時にミルワームを数匹倒木の窪みに隠すのです。
それに加えて、私はわたしの言葉で、話しかけました。「心配いらないからね。
食べ過ぎると良くないから、一回に8匹と決めるね」とか、「ジョウビタキのメス
は、気が強くて危険だから、近寄ったら駄目だよ」とか、単に「おはよう!」とか
その私の仕草を遠くの木陰から見ているペロやんは最初は警戒してその窪地の上を
飛んで通過するだけでした。しかし、そのことを何度も何度も繰り返していると、
彼は、その場所に止まって食べるようになりました。
私は、餌の場所を次々と変えて彼の知能を確かめました。彼は、即座に見つけて
異なる場所でも止まって食べるようになりました。さて、こうなってくると、
私の側に責任が生じてきます。つまり、恣意的にあるいは興味半分に給餌する
ことは許されません。毎朝、必ず決まった時刻に第一砂防ダムに行かねばなりません。
当時の私はまだ関西方面で仕事が残っておりましたから、出張する時などは、
妻に頼んで、給餌を続けました。3月がやってきます。暖かくなります。
彼は冬鳥です。暖かさには耐えられません。シベリアのウスリー地方へと飛ばねば
なりません。(一部は高山に留まる個体もあるそうですが)
別れの日が来ました。彼は知ってか知らずか、いつもより長く私のまわりに
まとわり続けました。私は統計的に見て「ああ、この日が別れの日なのだ」と
思ったものです。しかし、これだけ友好を深めたのだから、来シーズンには
必ず戻ってくると信じていました。しかし、その年も、その翌年も私の前に
現れることは、ありませんでした。この、記録が彼との最後のものとなったのです。