八甲田雪中行軍遭難事件(1902年)
ロシア軍がシベリアから南進して満州・朝鮮半島侵略を狙っていた
極寒の地での闘いが予想されたから、雪中行軍で寒地での訓練が必要であった
地元の民間人による先導を拒否したのが災いし、210名中199名死亡という
大惨事を引き起こした。これによって、多くの教訓を得て、日露戦争に突入する
日露戦争(1904年)
朝鮮・満州の支配権をめぐり日本とロシアの間でぶつかりあった。
開戦間もなく日本が旅順攻撃を開始し、翌年には日本は奉天を占領。
日本海海戦の勝利によって軍事上の勝敗はほぼ決定した。
1905年9月にアメリカのポーツマスで講和条約が結ばれ、日本の勝利で幕を閉じた。
有色人種が白色人種に勝利した最初の戦いに感激し、アジアは沸き立った。
八甲田で散った199名も浮かばれようというもの。