数日前から、このトリが飛び交うのを目撃していた
大抵二羽がチェイスをしている
しかし、カメラから遠くて、冠羽を確認できない
首の太さから、ササゴイだろうと思っています
そうそう、あのセグロセキレイの幼鳥は、もう姿を見せず
水際近くで多くのセキレイが遊んでいました
完全に巣離れしたのでしょう
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした
ササゴイ君が飛び上がった瞬間です
その直後、見失ってしまいました
水面と同じ様な色なので、写真としては、どれも失敗作です
昭和19年の秋頃の話です
和歌山市は昭和20年7月9日にB29大型爆撃機100機の大編隊による
焼夷弾(しょういだん、油脂=燃え続ける、黄燐=自然発火する)攻撃で、
街の80%が焦土と化しています
ですから、これからお話しすることは、その一年前のことです
その頃は、散発的な敵機飛来でバラバラと爆弾を投下してゆく程度のものです
一トン爆弾が投下されると、ズシーンと轟音が轟いて街全体が揺れた
その都度、難を免れた我が家でも、その度に土壁が崩れて土煙が舞い上がるのでした
後には巨大なクレーターが出来て、その度に概ね100軒近くが破壊されました
私は小学低学年頃、既に収集癖があり、
昆虫採集や古い切手などを集めておりました
それは形を変えて今も続いています
爆撃後の町中を徘徊してあることに気が付きました
当時は全て木製だった電柱に新しい傷があることです
よく見ると、中に光る物がめり込んでいる
私はドライバーやナイフを使ってその物を取りだした
全て不規則ながら円形でギザギザとしていて、キラキラと輝いている
手に取ると、まるで宝石のように美しい
その輝きに魅せられて、私はこの爆弾の破片を集め始めたのだった
勿論、着地と同時に炸裂する鋼鉄製の爆弾の厚い壁が粉々に砕かれて、
八方に飛び散って行き、多くの人を殺傷したのだ
小さい破片で直径1センチ、大きいものだと5㎝もあった
私は、母から高級お菓子の木製の箱を貰って、それに綿を敷き詰め、
この破片を丹念に並べた
一つずつ、三点を虫ピンで止めて固定した
完璧な光り輝く標本ができたのだった
ある日、農家の息子である学友がこの標本を見て、えらく気に入って、
執拗に、私にせがむようになった
彼は、「何でもあげるから、これを頂戴」と執拗に迫った
さんざん考えた私は
「米五合(一升の半分)となら交換してもいい」と言ったのだった
翌日、この”商談”は成立して、私はその米を台所の米櫃にそっと入れた
ところが、数日後、その標本がそっくりそのまま私の机の上に載っていた
その時初めて、私は自分のしたことの罪の大きさを知った
体が凍り付くようだった
そして、両親や校長から大目玉を食らうことを覚悟した
が、「○○ちゃん、もうあんなことをしたらあかんよ」
と母が諭して、事は終わった
和歌山市は昭和20年7月9日にB29大型爆撃機100機の大編隊による
焼夷弾(しょういだん、油脂=燃え続ける、黄燐=自然発火する)攻撃で、
街の80%が焦土と化しています
ですから、これからお話しすることは、その一年前のことです
その頃は、散発的な敵機飛来でバラバラと爆弾を投下してゆく程度のものです
一トン爆弾が投下されると、ズシーンと轟音が轟いて街全体が揺れた
その都度、難を免れた我が家でも、その度に土壁が崩れて土煙が舞い上がるのでした
後には巨大なクレーターが出来て、その度に概ね100軒近くが破壊されました
私は小学低学年頃、既に収集癖があり、
昆虫採集や古い切手などを集めておりました
それは形を変えて今も続いています
爆撃後の町中を徘徊してあることに気が付きました
当時は全て木製だった電柱に新しい傷があることです
よく見ると、中に光る物がめり込んでいる
私はドライバーやナイフを使ってその物を取りだした
全て不規則ながら円形でギザギザとしていて、キラキラと輝いている
手に取ると、まるで宝石のように美しい
その輝きに魅せられて、私はこの爆弾の破片を集め始めたのだった
勿論、着地と同時に炸裂する鋼鉄製の爆弾の厚い壁が粉々に砕かれて、
八方に飛び散って行き、多くの人を殺傷したのだ
小さい破片で直径1センチ、大きいものだと5㎝もあった
私は、母から高級お菓子の木製の箱を貰って、それに綿を敷き詰め、
この破片を丹念に並べた
一つずつ、三点を虫ピンで止めて固定した
完璧な光り輝く標本ができたのだった
ある日、農家の息子である学友がこの標本を見て、えらく気に入って、
執拗に、私にせがむようになった
彼は、「何でもあげるから、これを頂戴」と執拗に迫った
さんざん考えた私は
「米五合(一升の半分)となら交換してもいい」と言ったのだった
翌日、この”商談”は成立して、私はその米を台所の米櫃にそっと入れた
ところが、数日後、その標本がそっくりそのまま私の机の上に載っていた
その時初めて、私は自分のしたことの罪の大きさを知った
体が凍り付くようだった
そして、両親や校長から大目玉を食らうことを覚悟した
が、「○○ちゃん、もうあんなことをしたらあかんよ」
と母が諭して、事は終わった
依然渡しはゴイサギの幼鳥を撮ったことがありましたが、その鳥さんと一寸似ている感じがしますね。
幼鳥と親鳥とは大分違いますが。
ヤッパリ獲物を狙って多摩川に来ているのでしょう。
川の流れの写真を見ているだけで涼しく感じます。
今日は強烈な太陽で昨日の雨もすぐに乾いてしまいましたね。
昔から収集癖?
何でも物を大切になさる方なんですね。
サギの仲間ですから、水に入って魚を狙います。今日はとても暑いので、下流では子供達が泳いでいました。
そう、ちょっとばかり降って、もうオシマイ。これでは、何にも成りません。蒸し暑くて、梅雨の特徴はあるのだけれど、なにせ雨が少ない。稲は大丈夫なのでしょうか。収集癖、古銭や切手などいろいろなものを集めました。昔人間だから、物は大切にしますよ。
「餌の魚をおびき寄せるため、疑似餌(鳥の羽根、松の枝、木の葉)を利用したハンティングを行うことが知られる」
poloさんが撮られたのも、きっとササゴイでしょう。次のチャンスに巡りあえるといいですね。
ほんとゴイサギによく似ています。ゴイサギより小さいような気もしますが。
米五合(ごんごうと私は言いますが)と交換した爆弾の破片の標本。
破片を収集したことより、米と交換したことがお母様にとって悲しいことだったのかもしれないと思いました。
米びつにそっと入れた五合の米。その時のpoloさんの心情をお母様はわかってらしたに違いないと。
どこかで 見たような気もしますが・・・
polo181さんは 野鳥を多く撮影されていらっしゃるのでしょうか
最近 私も2度ほど撮影しましたが なかなか難しいですね
昭和19年秋頃のお話 興味深く拝読させて頂きました
数日前から、このササゴイが飛び回っているのを目撃していました。大きさからして、ひょっとしてチョウゲンボウかなと期待を寄せたのでした。カモよりは小さく、ハトよりは大きい。なんだろうなぁ、と思っていました。
私のブログは、花からトリへ、トリから花へと振り子のように移動しています。最近は、もっぱらトリです。小形のトリは、予想の付かない動き方をしますから、難しく、これの撮影に挑戦しています。
私の拙文を読んで下さってありがとう。戦時中の苦労が少しでも伝わればなぁ、と思って書いています。
見たことはありませんが、こちらにも流れてくる可能性はありますね。
撮る自信はありませんが、注目して探してみます。
飛び立つ瞬間がよくわかります。
19年は私が生まれた年、何となくですが分かります
大変な時代ですね。このお話をお聞きして改めて両親に感謝の気持ちでいっぱいに。
よいお話有難う御座いました。