平戸で誕生した、アジアの英雄・鄭成功 【日本名は田川福松 】
中国人海商で江戸時代の平戸を根拠地として活動した中国明朝の鄭芝龍を父に、肥前国平戸藩士・田川七左衛門の娘 田川マツを母に生れました
父・芝龍は平戸老一官と称し、数千名の配下をもつ海商船団の頭領でしたが、後に明朝の招きに応じて帰順し明朝に仕えることになりました。その後鄭成功も7歳の時、父・芝龍の招きにより単身渡海すると、15歳で南京大学に入り学び、21歳の時には明王・隆武から明の皇帝の姓である「朱」を称することを許され、朱成功の名を賜ることになります。
明の国姓である朱姓を与えられたことから、人々は彼を国姓爺(こくせんや)と敬称したといわれています。清王朝に追い込まれていた明王朝を再興する足がかりとして、鄭成功は台湾を 拠点化することとし、台湾を38年間にわたり占拠中のオランダと戦い勝利をおさめました。その後、台湾に政府を設置し法律を定め開拓を行い、民を養い「台湾解放の英雄」となりました。
大陸の明朝は明の大将軍となっていた父・芝龍が清から寝返れば報酬として大きな領地を与えるという甘言に乗せられ明を裏切って大軍を連れて清に行って殺されてしまいます。 結果、明は軍を失って清に攻め込まれて滅亡。母の田川マツは清軍の攻撃の際に自害しました。
日本の文楽でも演題になっているほどの国性爺合戦
鄭成功が虎を退治している図
鄭成功記念館【鄭成功の生家跡地】
入館料も駐車料金も一切、掛かりません
鄭成功記念館 内部展示品
平戸老一官の鄭芝龍と妻子の田川マツと田川福松を表現した人形
記念館のトイレ・一般用の公衆トイレも兼ねています
地方都市のお約束、完璧に近いキレイさです
都市部の観光地のように派手ではありませんが清掃と使う人の心掛けが偲ばれます。汚れやチリひとつ無し!
ポルトガルが発見し、オランダが永年にわたって占拠していた台湾を鄭成功が奪還して政府を設置し法律を定め開拓を行い、民を養った『最初の漢民族』となりました。しかし熱病で39歳で死去
その21年後に清王朝により攻撃され降伏してしまいます。
今でも横浜中華街に住む鄭成功の縁者さんは今もここを毎年訪れるそうです。
※筆者註~横濱南京町は大陸系と台湾系の国民がおり、祭りも春節と双十節の2つに分けて開催するほどです。双十節が好きです。
《平戸の趣きある格安ホテル》