
ひと昔前、イチゴは時期が過ぎたのでありません、食べられません。 と言われると
無性に食べたい。食べられないと知る前まではさほどでもなかった単なるイチゴが矢鱈と食べたくなった。
外出は控えてください。と、言われると 自宅でのんびりと思っていたのに
外出したい。春の息吹を、新緑の薫りを嗅ぎたくなる。

ひと昔前に刑務官の方に使われなくなった刑務所の一室を見学させていただき、物は試しと入ってみた。 思ったより広くて快適。洗面もトイレもあって読書や手紙まで書けるようになっていた。
知人の刑務官が 「ドアを一度閉めてみましょうか?」 と重い鉄製で太い鉄格子に加えて細かい目の金網が張られたドアーを閉めてくれました。


続いて 「あ~この房扉は壊れていた、すみません暫くここからは出られません」
と、冗談でしたが、言われた瞬間に細かな太い金網で視界が妨げられているし、広いと感じていた房内が狭く感じられ、なにか息苦しくなって、急に今すぐ出たくて出たくて仕方なくなる。
ダメと言われると急に辛くなる・現状がイヤになります


武漢ウイルスの感染防止のための緊急事態宣言。
日本では、あくまでも 「自粛」 であって 「禁止」 ではない。 政府や知事からのお願いだけ、罰則も無ければ注意も受けない。

買い物自由、湘南に出掛けて渋滞を作ってサーフィンやったり、ホリエモンの言うように登山なんてリスク低すぎ と推薦したり、パチンコ屋に行ったり。



諸外国の国丸ごと、特に中共の1000万都市の丸ごとロックダウンは想像を絶する厳しさ。警官に殴られたり麻雀台を破壊されたり。
それに比較すれば取るに足らない措置なのに 自粛疲れ・自粛鬱。自粛ストレスetc etc


嘆く人も居れば、だらしがないと批判する方も多いですが 前述の 「イチゴ」 「外出」 「刑務所見学の房室」 のように考え方一つで 大したことのない要求でも自分の心の中で巨大化してしまうのかもしれません。


病気で入院中の方で、病室から一歩も出られない人が同じ病院でベッドから起き上がれない患者さんを思うことで気が軽くなると聞いたことがあります。
ベッドから起き上がれない患者さんは、同じ状態で酷い痛みのある治療が続く患者さんを見て気が軽くなるでしょう。



アメリカでは 感染者が152万人、死者は10年も続いたベトナム戦争の死者58220人を4月中に超えて現在は9万1845人にまで拡大しています。


日本は米国や諸外国と比較すればよく持ちこたえていると思いますが
考え方一つで 大したことのない要求でも自分の心の中で巨大化してしまうこともあります
今後も心の持ちようで武漢ウイルスから自身、親、兄弟姉妹、子供、孫などなどを護っていきたいものです。
自宅から出られなかった時 タバコ確保するのに 死にもの狂いでした(笑)
こちらは市の端で団地の北側は原野。その縁にある道をウォーキングしている人がチラホラ。
誰も文句は言いません。通り過ぎる車が時々あるだけです。
3日に一度食料の買出しに出掛けますが、やはり人は少ないですね。
アメリカの死者がベトナム戦争の犠牲者数を超えたのを知らなくて、驚きました。
考えてみたら鉄格子の無い牢獄と同じですね。
後、何日、何年耐えなければならないのでしょう。
判決が出ていない分、辛いですね。
日本人はこのレベルの「政府のお願い」で病気になったり、牢獄のようだとか、世界基準とは相当にずれているのに気付きません。お花畑の住人ですから。
コロナ問題は神様が人類にほんの少し、軽易な問題を出して この低レベルの問題をどう乗り越えるのかを試しているような気がします。
この程度で生活できなくなるのか?
この程度で家族関係が壊れるのか?
この程度でうつ病なんかになるのか?
結果によって人類は見限られるカモ・・・ですね