戦うことは「悪」ですか 悪化した「尖閣問題」「拉致問題」 日本に“戦ってでも守る”という圧力が欠け、相手国に「舐められている」のが原因
2021/12/07 06:30 ZAKZAK自著『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)が、第4回アパ日本再興大賞を受賞したことをきっかけに、夕刊フジから久々のお声がけを頂いた。実に6年ぶりの連載に心躍っている。というわけで、夕刊フジ読者のみなさん、「お久しぶりです!」。
この6年間に、日本はどう変わったか。大変残念なことに、私が力を入れて取り組んできた「尖閣問題」も、「拉致問題」も、改善するどころか悪化した。
沖縄県・尖閣諸島はじりじりと中国が実効支配の度を高め、空からも海からも民間メディアの目が入らなくなった。私たち民間有志は「尖閣に行く」と言ったら最後、石垣島からの出港さえ阻まれるようになった。
北朝鮮による拉致問題は、2002年の5人の帰国以降、まったく進展がなかった。一方で、一日千秋の思いで肉親の帰国を待つご家族は、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さんをはじめ、歯が欠けるように亡くなっている。
政府が「オールジャパンで取り組んでいる」はずの問題が、このように未解決のまま膠着(こうちゃく)、悪化している最大の理由は何か。
誤解を恐れずにいえば、日本が「舐められている」からであろう。
外交交渉の裏付けとなる「圧力」が、日本にはすっぽりと欠落しているのだ。「圧力」の最たるものは「武威」だ。話し合いで決着がつかず、一線を越えたら「戦ってでも守る」という武威の裏付けがあってこそ、外交交渉にも迫力が出る。
それなしに、いくら「遺憾砲」を連発しても、相手は痛くもかゆくもない。そうこうするうちに、状況は悪化し、国の尊厳が損なわれていくだけなのだ。
こんな状態から脱するためには、「戦うこと」イコール短絡的に「悪」だと思い込まされてきた戦後の価値観から脱しなければならない。
それは、すなわち大東亜戦争での先人たちの戦いぶりに心底恐れをなしたGHQ(連合国軍総司令部)が、日本人を再起させないために仕掛けた「洗脳」から目覚めるということだ。
昨年から今年にかけて、映画『鬼滅の刃 無限列車編』が、国内歴代興行収入第1位を記録した。大人も子供も夢中にさせたこの作品は、戦後体制によって失われたと私が嘆いている「尚武(しょうぶ=武を重んじること)の精神」の塊のようなキャラクターたちが、スクリーン狭しと暴れまわる。
単なる勧善懲悪ではなく、相打ちや自己犠牲を厭わない、極めて日本的な戦いぶりが現代日本人の心をわしづかみにしたということは、実は日本人が「戦う気概」を渇望していることの表れではないか。
だからこそ、私は問いたいのだ、「戦うことは『悪』ですか」と。明日からは各論で、4つのテーマを取り上げてみたい。
■葛城奈海(かつらぎ・なみ) やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、ジャーナリスト、俳優。1970年、東京都生まれ。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会幹事長。著書・共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)、『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)、『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)。
アパ日本再興財団も絶賛して
審査委員長
外交評論家・加瀬英明
審査委員
東京大学名誉教授・小堀桂一郎
審査委員
報知新聞社 前会長・小松﨑和夫
審査委員
衆議院議員・今村雅弘
審査委員
東京国際大学教授・福井雄三
著書に大賞を贈呈しています、一読の価値ある書籍です。