鳩山のぞみ教会ブログ

牧師さんのほのぼの話し。http://www.jhc.or.jp/hatoyama/

アドヴェントを、み言葉と共に(3) 平和を祈る

2009-12-22 11:10:45 | 黙想 神学 聖書学
ルカの福音書2:14
いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。 

 主イエスがお生まれになったとき、天使が平和を祈りました。
このことからアドべントは、平和を祈るシーズンとなっています。
和解の福音を十字架で成し遂げる(IIコリント5:17-20)、
平和の君であるイエス様が、地上に来られたのです(イザヤ9:6)。




「平和の祈り」(抜粋)アッシジのフランチェスコ
「神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらすことができますように。
いさかいあるところに赦しを…もたらすことができますように…。
神よ、わたしに、慰められることよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されることよりも、愛することを、望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し、
赦してこそ赦され、
死ぬことによってのみ永遠の生命によみがえることを、
深く悟らせてください。アーメン」
 
私が奉仕する教会では、この祈りをクリスマス礼拝で唱和しています。
ある方がこの祈りを口にして「この祈りは自分の家庭にも、
そして自分の心にも、必要な祈りです。私は自己中心でした」と、
心の転換へと導かれました。

あなたの心も、主イエスのシャロームで守られますように。

アドヴェントを、み言葉と共に(その2)

2009-12-19 21:10:38 | 黙想 神学 聖書学
ルカの福音書2章7節

それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。


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神の御子がこの世に来られましたが、イエスさまを迎える宿はありませんでした。他のものでいっぱいだったのです。私たちの心のように。
しかたなく、馬小屋でお生まれになり飼葉桶に寝かせられました。汚い家畜の餌箱は、私たちの罪深い心を表しているようです。「そんなところに神の御子が!」と驚くような、しかし、そんな心を救うためにこそ、イエスさまが来てくださったのです。

「魂の家」アウグスチヌスの祈り(抜粋)
主よ、私の魂の家はとても狭いのです。どうか、広くしてください。あなたがお入りになれるように…。私の魂の家はあなたの目に、どんなにか醜く映ることでしょう。私は自分の魂の醜さを知っています。それをきよめてくださるのは、主よあなたお一人です。。(『祈りの花束』より、V・ズンデル編、新教出版)

アドヴェントをみ言葉と共に

2009-12-18 20:53:37 | 黙想 神学 聖書学
川崎市に藤本満先生(インマヌエル高津教会)という牧師がいらっしゃる。
毎年12月のクリスマスシーズンに、いろんな教会の牧師に依頼して、
「アドヴェントの霊想」という、心温まるパンフレットを
つくって送ってくださる。

今年の待降節(アドヴェント)の第四週は、
私が書くように頼まれました。
来週の分なのですが、少しずつ掲載します。

パンフレットで、欲しい方は、お知らせ下さいな。

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ルカの福音書2:6~7a
 マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。 

 神が人となられる。イエス様がお生まれになる。
なんと不思議で、素晴らしいことでしょう。
アドヴェントは、その素晴らしさを、待ち望むときです。

S・デュプリー宣教師の家を訪ねたとき、玄関に
ネイティヴィティー(キリスト誕生の置物)が
飾られていました。ところが、真ん中の飼葉桶に、
イエス様がいらっしゃらない。デュプリー先生は
「我が家では、ベイビー・ジーザスはクリスマスの日に、
あらわれるのです。」と空の飼葉桶を指差しました。

子どもたちは、クリスマスの朝に目覚めると、
ツリーの下のプレゼントを開ける前に、玄関に
あるネイティヴィティーに向って走っていきます。
「あっ、イエスさまだ!」

以前は、空しさが覆っていた私たちの心にも、
イエスさまが来てくださった。
あの喜びを、あざやかに思い起こしたい。

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説教塾での発題 笹尾鉄三郎を紹介しました。

2009-11-21 08:55:34 | 黙想 神学 聖書学
こんにちは

今年は、日本プロテスタント150年の年です。
説教塾という、牧師のための学びの場でも、
特集をしています。

16日に、私も発題をさせていただき、
ホーリネス信仰の流れを、霊性の視点で、
分かち合いました。


説教塾ホームページ
http://www.sekkyou.com/index.php

に、新しいリンクができ



ここから http://www.sekkyou.com/jp/special/
に入ると、私が分かち合った発題を聴くことができます。




特に、ホーリネスの歴史の初期の指導者、笹尾鉄三郎先生の
説教を紹介できたことは、意義深さがあったと感じています。
私は読み上げているときにも、心燃やされる思いで、
引き込まれて読み、聴く側も、深く受け止めてくださっていました。

信仰の豊かな流れの中に生かされる幸いを思います。

あぁ、感謝!


 笹尾鉄三郎(1868-1914)

鳩山 ギリシャ語クラス

2009-10-16 21:17:21 | 黙想 神学 聖書学
鳩山教会で、ギリシャ語クラスを始めることになった。

教会員のある方が、聖書を原語で発音して、読んでみたいと。

そこで、では数回だけ、やりましょうということになった。


英語も何も、外国語は苦手、でもカタカナは読める!

という方でもOK 楽しく聖書に親しみましょう。

多分、5回ぐらいだけやります。

興味のある人は、連絡くださいな。




「愛するとは触れることから」マザーテレサ

2009-07-04 22:00:30 | 黙想 神学 聖書学
<週報の牧師コラムより転載です>

ヨハネ福音書にある、イエス様が弟子たちの足を洗う(洗足式)場面は、
読むたびに、新しく教えられます。 


  ヨハネ福音書13章より
   食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
   それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐい
   でふき始められた。


 KT牧師の黙想を読んでいたときに、ある思いが湧いてきました。
イエス様が弟子たちの足を洗われたとき、足に触れて、弟子たちに
どのような感触が残ったのだろう。
 現代の教会が洗足を、あまりしなくなったのは、直接足に触れるからでしょう。
実際に、私の友人のアメリカの教会では、違和感を感じる人が起きて、
洗足式ができなくなったそうです。触れるとは、具体的なことです。
しかし、そこが大切ではないでしょうか。弟子の前に、イエス様が
僕として、手ぬぐいと水桶で弟子たちの足をすすぎました。
ビックリでした。イエス様が足に触れてくださる。
驚いたでしょう、そして感謝が湧いてきたでしょう。
 マザー・テレサは「愛するとは触れることから」と言いました。
病めるところ、痛めるところを文字通り「手当て」しました。
イエス様の手となって、触れられない(アンタッチャブル)と
思われる人に、手当てをする。そこに魂の癒しが起きていく。
 ハ・ヨンジョ先生(韓国・オンヌリ教会)は
『イエス・キリストの7タッチ』という題名の本を書きました。

聖霊タッチ
みことばタッチ
沈黙タッチ
祈りタッチ
苦難タッチ
復活タッチ
ヴィジョンタッチ

イエス様は私たちの心と人生に触れてくださるのですね。
感謝ですね。信じましょう、今、イエス様は私たちの
心に触れて、十字架の愛がますます分かり、
希望を持って生きることができるようにしてくださるのですから。

充実した友人訪問

2009-01-23 10:07:15 | 黙想 神学 聖書学
先輩牧師であり、留学仲間のカツヤ先生を訪問してきました。
現在、博士論文を書き終えるため、生活は奥様が看護婦で支え、
論文に集中しているカツヤ先生。

廊下も書斎も、研究書で埋め尽くされて、すれ違えない状況。


私が、今取り組んでいるヨハネ福音書の構造研究と共同体研究のことで、
資料など頂くために訪問してきました。
カツヤ先生は、パウロ文書で論文を書いていますが、修士論文は、
マルコによる福音書の文芸批評に取り組まれたので、聖書研究の方法論は
重なる部分が多い。


E・P・サンダースの授業も受けたことがあると聴いて、
えっ、まだ生きてたんですか?と思わず。
あれほど聖書学に大きな影響を与えて、歴史的人物とかってに、
過去の人に思っていた。

また、リチャード・ヘイズの授業も受けていた話を伺った。
これもまた、うらやましい限りです。


カツヤ先生のアップ トゥー デイトの研究情報は、私の関心事の
ストライクゾーンに入る内容ばかりで、とても有意義、
あっという間の3時間。むしろ、時間が足りないぐらいだった。

聖書研究を真剣に取り組もうとするときの、そこにある厳しさと
また喜びとに触れることができ、収穫が多いひとときでした。

さあ、私も目の前のプロジェクトを、使命にたって、
厳しさと喜びとを感じつつ進みたいと思います。
聖書を学ぶことを通して得る、多くの恵みを
主イエス様に期待しつつ。


「幸いなるかな、主の言葉を喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ者は」
Psalm 1



説教塾のホームページが公開されました。

2009-01-01 20:21:36 | 黙想 神学 聖書学
牧師ための学びの場「説教塾」は、
鳩山のぞみ教会にとっては、東京聖書学院の次に
重要な学びの場と言えます。


昨年の秋から説教塾のホームページの立ち上げのための
作業を、他のスタッフと共に取り組み、ついに
2008年の年末に塾ホームページをオープンした。

http://www.sekkyou.com/

ぜひ、お立ち寄りください。


その学びを指導しているのが、神学者 加藤常昭先生




塾生ページには、塾生登録が必要ですが、
牧師にとってとても有益な学びの機会が
開かれています。



メリー クリスマス

2008-12-24 09:25:01 | 黙想 神学 聖書学
クリスマス おめでとうございます。

世の中は、100年に一度の不況と呼ばれる大変な時であり、
困窮する人が支えられるように心から祈ります。

病院で過ごす人、施設にいる人、高齢で在宅の方など、
教会でクリスマスの祝いを出来ない方々を、できるだけ
訪問して、クリスマスキャロルを歌い、共に祈る
数週間をすごしています。





今日は、クリスマスイブ 教会ではキャンドルサービス
19:00より どなたでも歓迎



ロウソクのともし火を見つめ、賛美とみ言葉に浸る。
「そう、私の心にイエス様が来て下さった」と
深く受け止めるとき、感謝が湧き上がってくる。
この喜びをできるだけ多くの人に伝えたい。