交わりがある牧師の教会に、Kさんという作家がいた。
その方の証しに、「父母未生以前の我」という表現が出てきて、
私の心をとらえた。
人間は、これから自分の命を襲いに迫り来る死を恐れるもの。
しかし、それ以前の私、命を授かる前の自分の無を、この方は恐れる。
お父さんもお母さんも、未だ生まれる前=父母未生以前
その私は、闇の中にあったのか、無であったのか、
どこにあったのか、
その悩みの中で、教会に導かれてKさんはキリスト者となる。
もともとは道元の言葉らしい。ですからKさんの回心は、
非常に東洋人的な神様を知る歩みの証しと言える。
この証しを聴きつつ、私は、自分の高校時代に抱えてた、
言葉に表現できなかった恐れを、あの頃から20年近く経つけれども
ようやく理解できたと思った。
私のもっていた恐れも「父母未生以前の我の闇」
それゆえに、今の私も闇に見つめられて、抜け出せないまま、
肉体の命を生き、厳しく突き刺さるような空しさにさらされていた。
しかし、その私を、キリストは救ってくださった。
永遠の御腕は、父母未生以前の私にも届く、慈愛の天の父の御腕である。
キリストの復活は、永遠の命を与えてくれた。
詩篇139編の詩人もこの恵みを知ったのだろう。
「あなた(造り主なる神)の目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。」
同じ、恐れを持つ人は、恐らく多くいらっしゃると思う。
ぜひ、勇気を出して、教会に、礼拝に来てみてください、
あなたの心が必要としている答えが、聖書にあるから。
その方の証しに、「父母未生以前の我」という表現が出てきて、
私の心をとらえた。
人間は、これから自分の命を襲いに迫り来る死を恐れるもの。
しかし、それ以前の私、命を授かる前の自分の無を、この方は恐れる。
お父さんもお母さんも、未だ生まれる前=父母未生以前
その私は、闇の中にあったのか、無であったのか、
どこにあったのか、
その悩みの中で、教会に導かれてKさんはキリスト者となる。
もともとは道元の言葉らしい。ですからKさんの回心は、
非常に東洋人的な神様を知る歩みの証しと言える。
この証しを聴きつつ、私は、自分の高校時代に抱えてた、
言葉に表現できなかった恐れを、あの頃から20年近く経つけれども
ようやく理解できたと思った。
私のもっていた恐れも「父母未生以前の我の闇」
それゆえに、今の私も闇に見つめられて、抜け出せないまま、
肉体の命を生き、厳しく突き刺さるような空しさにさらされていた。
しかし、その私を、キリストは救ってくださった。
永遠の御腕は、父母未生以前の私にも届く、慈愛の天の父の御腕である。
キリストの復活は、永遠の命を与えてくれた。
詩篇139編の詩人もこの恵みを知ったのだろう。
「あなた(造り主なる神)の目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。」
同じ、恐れを持つ人は、恐らく多くいらっしゃると思う。
ぜひ、勇気を出して、教会に、礼拝に来てみてください、
あなたの心が必要としている答えが、聖書にあるから。