【ご紹介】
https://www.youtube.com/watch?v=OD_5eARbxZk
日本海海戦
『観戦武官の記録』マヌエル・ドメック・ガルシア大佐 〔アルゼンチン〕
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直チニ出動コレヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレドモ波タカシ」
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」
日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日〜28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。日本以外ではこれを対馬沖海戦(つしまおきかいせん)と呼ぶ。ただし実際の海戦域は対馬沖に留まらず日本海広域に及ぶ。
この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。日本海軍連合艦隊は連合艦隊司令長官東郷平八郎の指揮下で、ロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力の大半を失わせたが、日本海軍連合艦隊の損失は軽微という海戦史上まれな一方的勝利となった。これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。当時、世界最大の軍事力を有していたロシア帝国の敗北は世界を驚愕させた。なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。
コメント欄より
西郷従道と山本権兵衛。西郷は議会に提出しないまま、国家予算を流用し、二隻の軍艦の購入契約を勝手に結び、他国の邪魔が入らないうちに代金全額を振り込みます。西郷は山本に「これがないと、日本は勝てないんじゃろ?問題になったらおいどんが腹を切り陛下にお詫び申す」と言い、廻航されてきた軍艦を差し「これは金で買った船ではないですぞ、若い娘が繭を紡いで買った船でごわす」と言ったという。艦は装甲巡洋艦「日進」「春日」、触雷で沈んだ戦艦「初瀬」「八雲」を見事カバーした。山本は日露開戦まで革新的な近代6・6聯合艦隊を作り上げた立役者・・・。
ロシアと戦うにあたり、日本は帝政ロシアの反体制組織(共産主義者)に密かに援助した。
後方から切り崩しが成功しつつあった。
バルチック艦隊は2万キロの航海で疲弊していた。
さらに日本と同盟であった英国に協力してもらい、途中の港でバルチック艦隊の補給を妨害した。
ロシアはできるだけ石炭と食料を積み込むしかなかった。
艦隊乗員の居住部屋にまで積み込まれ、居住環境はひどいものになった。
日本海にたどり着いたバルチック艦隊は、日本艦隊と戦うには消耗し過ぎていた。
太平洋戦争での日本軍のインパール作戦と同じ・・・。
そのほか・・・
https://www.youtube.com/watch?v=8xYa_zLmROU
【軍歌】広瀬中佐
https://www.youtube.com/watch?v=WVVS56hWx30
水師営の会見
https://www.youtube.com/watch?v=aqjX1bQgKa8
<軍歌>雪の進軍
https://www.youtube.com/watch?v=FyhEP_YixD4
雪の進軍
*
https://www.youtube.com/watch?v=zPekYvk-LVs
勇敢なる水兵