1週間後の3月19日、衆議院法務委員会において、参考人として招致されたTBS常務は、この矛盾を突かれ、返答に詰るといった醜態を晒す結果となっています。挙句の果てに、その年の4月30日、TBSは、監督官庁である、郵政省に、事の顛末を報告しています。私は、この「坂本テープ調査報告の要旨」について、日刊紙数社の記事を読み比べましたが、TBSの誤魔化しの意図が見えすぎる半面、事態の真相が全く見えてこないことに激しい憤りを感じました。そこで、私は、直接TBSに問い合わせをしてみました。真相をこの目とこの耳で確認したかったのです。自宅からTBS本社に電話をかけ、広報担当の部署へつないでもらい、住所氏名、どういう立場の人間かを細かく申し述べ、用件を手短かに伝えると、電話の相手が代わりました。そこで私はさらに細かに説明すると、先方はこう言いかけました。「今、責任者が席をはずしていて…」ところが、それも言い終わらないうちに、今度は別の男の声でいきなり、「いったい、何をどうしろと言うんだ!何を要求するんだ!」 そう恫喝してきたのです。これには驚きました。激しい怒りも湧いてきました。しかし、私は真相を知ることと,郵政省に提出した報告書と同じものを入手することが目的であることを思い、ぐっと堪えて、「要求でなく、お願いの電話です。坂本ビデオの報告…」と言いかけたところで、また、電話の相手が代わりました。「私は広報部副部長の〇〇です」居たのです! 責任者は席を外している筈なのに、その場にいたのです! 丁寧に名乗ってはくれましたが、用件を伝えると、「あるにあるが、残る部数も少ないし、部外者に見せる物ではないが、仕方がない、送ります。」そういう答えが返ってきたのです。やはり私は部外者だったのです。『仕方がねえ、送ってやらあ。有難く思え』で済む程度の人間として扱われたのです。マスコミという特権意識に舞い上がった、彼らの思い上がりを強く感じたものです。勿論、マスコミを十把一絡げにして物をいうつもりはありません。しかし、刑法に抵触するとまでも言えないにしても、およそ、理性ある人間として、してはならない過ちをしでかし、それを恥じる事もなく、逆に隠し切ろうとしたTBSの当時の経営陣は、マスコミの末席にも置けない、いや置いてはならない、という思いは今でも変わっていません。このような経緯はありましたが、96年5月2日付けで、広報部長の添え書きと共に、次の表題の書類を送って頂いたことは幸いでした。 — 大山友之(妻、都子の父)、「都子 聞こえますか」(新潮社、2000年)