聖書と共に

輸血拒否の問題

エホバの証人は聖書を利用して、輸血拒否と言う
奇妙な問題を発生させました。ブリックリンからの指示です。
彼らは旧約聖書のレビ記から、これを持ち出したのです。
鳥でも、動物でも、その血をいっさい、食べてはならない。 (レビ記7ー26)
どんな血でも食べるな…。なぜなら肉の命は血の中にあるからである。私は、あなた方の命を祭壇の上であがなう為に、これを、あなた方に与えた。
           (レビ記17-10~11)
この言葉は、キリストの十字架による、あがない
を意味する言葉です。
昔、ユダヤ人は、罪をあがなう為に、毎年、身代わりとしてヤギや、子牛の血を祭壇に注いでいました。

キリストは、私達の罪をあがなう為に、
「ヤギと、子牛の血によってでなく、ご自身の血によって、ただ一度、真の聖所に入り、永遠のあがないを成し遂げられたのです。もし、ヤギと牡牛の血、又、雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体を潔めるものとすれば、まして、キリストが傷のない、ご自身を
御霊によって、神にお捧げになった、その血は、
どんなにか私達の良心を潔めて、死んだ行いから
離れさせ、生ける神に仕える者とする事でしょう
」       (ヘブル9ー12~14)
レビ記の言葉は輸血拒否の問題と全く関わりがありません。ブルックリンの欺瞞です。

「あなた方は聖書の中に永遠の命があると思い、
聖書を調べています。その聖書が、私について証言しているのです。それなのに、あなた方は、命を得るために、私の元に来ようとはしません」
          (ヨハネ5ー39、40)
「あなた方に告げます。人の子の肉を食べ、又、
その血を飲まなければ、あなた方の内に命はありません。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を持っています。私は終わりの日に、その人を、よみがえらせます。私の肉は真の食物、私の血は、真の飲み物だからです」(ヨハネ6-53~55)

イエス様は、最後の晩餐でも言われました。
「彼ら食しおる時、イエス、パンを取り、祝福して裂き、弟子達に与えて言われた【取りて食らえ
、これは我が身体なり。】又、酒盃をとりて感謝し、彼らに与えて言われた。【汝ら皆、この酒盃
より飲め、これは契約の我が血なり】多くの人のために、罪の赦しを得る為に、流す所のものです
。」         (マタイ26ー26~28)
「我が記念として、これを行いなさい」
           (ルカ23-19)
サタンの働きは、神の救いを破壊する事。人を滅ぼす事です。
「わざわいだ。お前達は、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとする人々をも入らせません。…お前達は改宗者を一人つくるのに、海と陸を飛び回り、改宗者ができると、彼を自分よりも倍も悪いゲヘナ(地獄)の子にするのです。」     (マタイ23ー13、15)

信者の一人一人をブルックリンからの指示で問答形式でマインドコントロールしている団体は、
わざわいです



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