から抜粋し紹介します。
「信仰は聞くにより、聞くは、キリストの
言葉による」 (ロ-マ10-11)
「信仰は、どうの様にして心の中に発生
するか」とは、これは大切な問題である。
「信仰は神の賜物である」と言う答えだけ
では十分ではない。
この質問の答えとして、神の言葉が、最も
力ある答を与えている。
「信仰は聞くによる」というのである。
この聞くというのは、決して人の声につい
て言っているのではない。
雄弁博学の聖者の声でも、霊的な真理を
宣伝する、霊的人物の声でもない。
ただ、神の声を聞く、と言っているのであ
る。
我らは「神の言葉」を通して聞くのである
主は、み言葉を通して、我らに語ること
を慕い求めておられる。
「神のみ言葉」と「神の声」との間には、
大きな相違がある。
神の言葉が、聖霊に装われ、聖霊に照され
て来るのが、神の声である。
聖書の言葉を、随意にとらえて、神の声を
聞いた、と言う事はできない。
聖書によって、その時に最もふさわしい
み言葉が力をもって、我らに臨んだ時に、
そのみ言葉を、神の声と言う。
心に、そのみ声を聞く時、すなわち聖霊が
聖書に記された文字を通して、生ける言葉
を我らに語りたもう時、直ちに信仰が起こ
るのである。
ゆえに、我らは聖書を開いて、へりくだっ
て主を待ち、心を静めて、聖霊が、その穏
やかになった魂の内に「静かなる細き声」
を響かせたもうまで、待ち望む様に気を
つけたいもbのである。
そうすれば、直ちに生ける信仰が起こり、
その驚くべき働きを我らの心の内に行い
始めるのである。
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次に「絶えず祈りなさい」(アンドリュ-マ-レ-著)
からです。
時間というものは、価値を測るのに重要な
標準となるものです。私達が時間を費やす
ならば、それは興味を感じている事の証拠
です。
私達が、神と共にいようとする時、時間を
必要とします。
すなわち、彼の臨在を意識し彼が、ご自身
を示して下さるのを待ち、自分が祈り求め
ているものについて考え、感じ、キリスト
にある自分の立場を受け取り、得たと信じ
るまで祈るには、時間がかかります。
祈りに時間をかけなさい。