聖書と共に

キリストにならいて

トーマス・ア・ケンピス(1380~1471年)という
中世の人が「キリストにならいて」と言う本を書いています。ドイツ生まれの人で、後に生まれる
宗教改革者マルチン・ルター(1483~1546)もドイツの人です。
 私は「キリストにならいて」を若い時から、時々読んでいましたが、年をとってからやっと、
分かるようになりました。一部を紹介します。

第八章 イエスとの親しき友情について

イエスが共にいられると、すべてはよく、何も困難とは思えない。しかしイエスがいられないと、
全てが難しい。イエスが内に語られないと、他の慰めはすべて値打ちがなくなる。しかし、イエスが一言でも語られると我々は大いに慰められる

「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます。」(ヨハネ11-28)とマルタが告げた時、マリヤは泣いていた場所から直ちに立ち上がったではないか。イエスが、我々を涙から霊の喜びへと
呼ばれる時は、幸いな時である。

イエス無しでは、あなたは、どんなに心が乾いて
頑(かたく)なになるだろう。
イエス無しでは、この世は、何をあなたに与えるであろうか。
イエス無しでいると言う事は痛ましい地獄である
イエスと共にいる事は楽しい天国である。
イエスを見出だす者は良い宝(マタイ13-44)、いや、
あらゆる良いものに勝る良いものを見出す。

敬虔で静かでありなさい。もし、あなたが外部の物に向かうならば、じきにイエスを追いやり、彼の恵みを失うであろう。

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テレビ番組「何でも鑑定団」は、お宝が多くの
紹介され、その人間模様が面白いです。
イエス様こそ、最高の、お宝ですよ!。
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