聖書と共に

私は、羊の門、羊の良き牧者

今日はヨハネ福音書10章です。聖書の抜粋。

①私は、羊の門
 まことに、誠に、汝らに告ぐ。我は羊の門
なり。門より入らず、他の所から羊の檻に入る者、私より前に来た者は、盗人、強盗です。
盗人は盗み、殺し、滅ぼします。
私によって、出入りする者は救われ、草を食べ
ます。私が来たのは、羊に命を得させ、かつ豊
かに得させる為です。

②私は、良い牧者です。
 良い牧者は羊のために命を捨てます。
雇い人の牧者は、狼が来ると、羊を捨てて逃げ
ます。
私は、良い牧者であり、私の羊を知り、私の羊
は私を知っています。父が私を知り、私が父を
知っている様にです。

私は、再び、生命を得る為に、生命を捨てます
人が、これを私から取るのではなく、私は自ら
捨てます。私は、この命令を、私の父から受け
たのです。

ここから「ヨハネ福音書講義」(バックyストン)です
ヘブル9-12参照、主は、自分の血をもって、
ひとたび聖所に入って下さいました。ですから
羊が、どの様な門によって、天国に入るかと言
うと、主の血の門を通ってです。

門番は、どなたか、というと聖霊です。
門番は、その人が良い牧者であると認めます。
又、羊にも、それが判ります。「羊はその声を
聞き分けます」「神から出た者は、神の言葉に
聞き従います」
私達は、霊的経験によって、初めに「門」であ
る主を知り、その門から入って「永遠の生命」
を得ます。それから、ついに「牧者」である主
を認めます。

「わたしの前に」というのは、私が来ていない
内に、私に先立っての意味です。私を背にして
、私を隠して、自らを現す者です。
「わざわいだ、律法の専門家たち、お前は知識
の限りを持ち去り、自分も入らず、入ろうとす
人々をも妨げたのです」この人々は、主の前
来た者です。

 狼である悪魔は、二つの方法で羊を害します
一つは、奪う事によってです。もう一つは、
散らす事によってです。その人を堕落させる事
です。散らすとは、羊の中に悪い感情を起こさ
せる事です。

 「雇い人」は、自分が利益を得る事を目的と
します。けれども、良い牧者は、自分が与える
事を目的とします。

「私は、私の羊を知っています」良い牧者であ
る主は、自分の羊の性質、習慣などをよく調べ
ます。その羊を導き、養うために、調べて下さ
います。

「父が私を知っておられ,私が父を知っている」
牧者と羊の交わりは、御子と御父との交わりと
同じです。同じような親密な交わりがあります
主は、私達のために、ご自分をお捨てにならな
ければなりませんでした。愛は、いつも自分を
捨てる実を結びます。

「私は、良い牧者です」主には、私達を導く、
又、養い、守る責任があります。
主は喜んで、この責任を負って下さいました。
どうか、牧者である主を信じて下さい。
又、ここで主の栄光を見るなら、私達も同じ様
になりたいものです。

 **********

「主は、私の魂を生き返らせ、み名のゆえに
私を正しき道に導かれる」

み名のゆえに、は「主の責任で」と思われます







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