今日は、霊魂(たましい)について考え、聖書に
基づいて記します。
全ての人は生まれると身体と、神様からの魂が
与えられる。
「身体を殺しても、魂を殺す事の出来ない者ど
もを恐れるな。むしろ、身体も魂も滅ぼす力の
ある方を恐れなさい。」 (マタイ10-28)
「全ての魂は私のものである。‥罪を犯した魂
は必ず死ぬ」 (エゼキエル18-4)
「全ての人は罪を犯した」(ローマ3-23)
「霊魂をあがなうには、費え、いと多くして
この事を、永遠に捨て置かざるを得ざればなり
。」 (詩編49-9)
すなわち、霊魂をあがなう事は絶望だと言って
います。
しかし
「あなたがたの魂のために、祭壇の上にて、
贖(あがな)いをするために、私はこれを、あな
たがたに与えた、血は命である故に贖う事が
できるからである。」 (レビ記17-11)
文語訳では
「肉の命は血にあればなり、我、汝らが、これ
をもて霊魂のために壇の上にて贖罪をなさん
ために、是を汝らに与う。血は、その中に生命
のある故によりて贖罪をなす者なればなり。」
ここに身代わりの存在が預言されています。
「彼らは、価なしに、神の恵みによりキリト・
イエスにある贖いによって義とされるのである
。神はこのキリストを立てて、その血による
‥あがないの供え物とされた。」(ロ-マ3ー25)
「彼の霊魂、とがの献物をなすに至らば、彼は
その末を見るに永遠からん。‥彼は己が霊魂の
煩労(いたつき)をみて、心、足らはん。
彼は、己が霊魂をかたぶけて死に至らしめ、
とがある者と共に数えられたればなり。
彼は多くの人の罪を負い、とがある者の為に
とりなしをなせり」 (イザヤ53ー10~12)
イザヤ書には、イエス様の姿が如実に預言され
ています。
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、
今は魂の牧者であり、監督である方の元に、
立ち返ったのである。 (第一ぺテロ2-25)
聖書には、輪廻転生があるとは言っていません
私達の霊魂の救いの為に、イエス様が十字架で
血を流す事無しに罪が赦される事はありません