聖書と共に

それを果たす事を延ばしてはならない

今日も「旧約聖書1日1章」(榎本保郎著)
から、ご紹介します。
「果たす事を延ばしてはならない」
           (伝道の書5-4)
信仰の秘訣は、これだと思う。
神の、み言葉に対して、ああ本当にそうだ
と思う人は沢山あるが、ただ感激だけで
終わってしまう事が多い。

パウロは、「あなた方が私から学んだ事、
聞いた事、見た事は、これを実行しなさい
、そうすれば、平和の神が、あなた方と
共にいますであろう」  (ピリピ4-9)
と語っている。

 信仰生活で一番難しいのは実行する事で
なかろうか。感激するが、それだけに終わ
てしまいやすい。
 朝目覚めて、たいていの人は新聞を手に
する。(現代では、テレビやスマホを見る)
これをしてから、聖書を読もう、あれを
片付けたら聖書を読もうと思いながら、
とうとう、そのまま1日が終わり易い。

わずか、10分~15分分間の事だが、
1日を何をもってスタートするかで、その
生活が変わってしまう事を経験する。
その日の積み重ねが1週間であり、1ヶ月
であり、1年であり、1生となる事を改めて
想いたいものである。

み言葉というものは、聖書に書いてある
全部が、み言葉になるのではない。
そうではなくて、私に語りかけて下さる
聖書の、み言葉に、つまりアブラハムよ、
アナニヤよ、という個人への語りかけ、
私への語りかけとして受け取った時、困難
があっても、必ずや守りたもう神を信じて
実行できるのである。

榎本よーと語られれば逃げる事はできない
迫害の急先鋒だったパウロの所へ遣わされ
たアナニヤの驚きが想像される。しかし
彼は従った。(使途9-17)聖書一般ではなく
、私への語りかけを聞くのである。

私に対する、み言葉とは、瞑想して、ふと
浮かんで来るというものではなく、聖書の
み言葉を通して語られて来るのであるから
、まず聖書を精読しなければならない。

ご飯を食べて、身体が保たれ成長する様に
、魂の養分を受けずに、文句を言ったり、
意見を言っても、それはダメである。
み言葉を与えられ、み言葉に賭け、実行す
る、その時、神は、どの様に愛し守り導い
て下さる、お方であるかを経験的に知る事
ができる。

人の言葉や、読書で得られるものではなく
、私達自身が、み言葉を聞いて実行した時
、み言葉に伴うしるしをもって、ご自身の
確かな事を示して下さる。その経験、そこ
に立たなければ信仰は生きて来ない。

教会が伝道集会に、いわゆる有名人を招き
、彼らが巧みに人生を分析し、社会評論を
行って多くの人を集めるが、聴衆は結局
去っていって、再び教会へは来ない、と
いう事例が多い。

解説では救われないのである。
言葉は、つたなくても良い。小さい器で
あっても良い。み言葉に命を賭けた講師の
言葉こそ、人々の魂を打つのである。

実行して平和の神と共に生きる、
命ある信仰に生かされたいものである。
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