「あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、皆に
仕える者になりなさい」(マルコ10-43)
これを聞いた少年は、一生懸命に掃除をしたりしていました。数日後、その少年は、日曜学校の先生に質問しました。
「僕は、いつになったら偉くなるんですか?」
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今日も、チェンバース著「限りなき主の栄光を求めて」から抜粋します。
もし、イエス・キリストから強い促しを受け、それに従うなら素晴らしい成功が待っている、と私達は考えやすい。
しかし、私達が夢見る様な成功を収める事が神の御心であると、決して考えてはならない。その正反対かもしれないからである。
私達が途中経過と呼んでいるものこそ、実は、神が到達目標と見なしておられる。
神の御心とは、今、この瞬間、私が神と、その御力に頼る事である。
たとえ私が、人生の荒波の真っただ中にあっても
冷静沈着のままでいる事ができるなら、それこそ
神の御心である。
神のご目的は途中経過にある。すなわち、岸が見えなくても、又、成功の見込みもなく、目標が、
どこにあるか解らなくても、波の上を歩いておられるイエスが見えるから大丈夫なのだ!と言う
確信を私が持つ事である。
神に栄光をもたらすのは、結果ではなく、途中経過なのである。
私達が、将来の事を到達目標とすると、現在進行中の事に注意が十分にいかなくなってしまう。
しかし、従順である事が目標そのものであると気ずくと、私達に訪れる一瞬一瞬が、どれ程、尊いものかが分かるのである。
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「私達は、ふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」 (ルカ17-10)