早天祈祷会を欠かさなかった牧師です。
その彼が、説教にはコツがある、と言って
おられます。
そのコツとは、
「自分が感動すれば、聴いている人も感動
する。」という単純なものですが、奥が
深いのです。
聖書を読み、祈る、神様との交わりの中で
神様に教えられた、み言葉に感動し、それ
を人々に伝える。というものです。
ですから、牧師は毎週1回は感動しなけれ
ばならない。日曜日の説教に向けて。
しかし、神様との交わりの時を十分にとる
事の出来ない牧師は、教理に逃げ込む、と
言っておられる。教理には命も躍動もない
、それを語っても聴衆も感動しない。
私の思いでは、最近の日本のキリスト教界
では教理や神学が、もてはやされ、様々な
問題が起きていると、思います。
教理や、神学には祈りが必要無いからです
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私が若い頃、こんな話を聞いた事があり
ます。説教の方法について、
① 聞く人々にみ言葉が残る様に話す事。
その為に祈りに励む。
② メッセージ(説教)の中に、キリストの
贖(あがな)いに行き着かないメッセージ
はメッセージとは言えない。
蔦田二雄牧師も次の様に言っています。
主は、
「その聖書が、私について証言しているの
です。」 (ヨハネ5-39)
と仰せられる。私達は、み言葉の鉱脈を
堀り当てて、生けるキリストに行かなけれ
ばならない。そこに至るまでに種々の
教訓や、興味深い事もあるが、途中で、
それらを、もてあそんではならない。
聖書の、どこから分け入っても源泉(キリスト)
に届かなければならない。それには、まず
霊的開眼が必要である。
霊的な人とは、霊的思想の豊富な人では
なく、生けるキリストの把握者を言う。
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聖書は66巻(旧約=39、新約=27)
創世記から黙示録まで一貫してキリストの
血が流れている。
youtubeで流れている牧師のメッセージを
上記の観点から聞かれてはいかがでしょう
か。
良いメッセージの例は
沼津シオン・キリスト教会の牧師の説教
です。