聖書と共に

説教のコツと祈り

榎本保郎牧師(1925~1977年)は、
早天祈祷会を欠かさなかった牧師です。
その彼が、説教にはコツがある、と言って
おられます。

そのコツとは、
「自分が感動すれば、聴いている人も感動
する。」という単純なものですが、奥が
深いのです。
聖書を読み、祈る、神様との交わりの中で
神様に教えられた、み言葉に感動し、それ
を人々に伝える。というものです。
ですから、牧師は毎週1回は感動しなけれ
ばならない。日曜日の説教に向けて。

しかし、神様との交わりの時を十分にとる
事の出来ない牧師は、教理に逃げ込む、と
言っておられる。教理には命も躍動もない
、それを語っても聴衆も感動しない。

私の思いでは、最近の日本のキリスト教界
では教理や神学が、もてはやされ、様々な
問題が起きていると、思います。
教理や、神学には祈りが必要無いからです
   *********
   
 私が若い頃、こんな話を聞いた事があり
ます。説教の方法について、

① 聞く人々にみ言葉が残る様に話す事。
  その為に祈りに励む。

② メッセージ(説教)の中に、キリストの
 贖(あがな)いに行き着かないメッセージ
 はメッセージとは言えない。

蔦田二雄牧師も次の様に言っています。
主は、
「その聖書が、私について証言しているの
です。」  (ヨハネ5-39)
と仰せられる。私達は、み言葉の鉱脈を
堀り当てて、生けるキリストに行かなけれ
ばならない。そこに至るまでに種々の
教訓や、興味深い事もあるが、途中で、
それらを、もてあそんではならない。

聖書の、どこから分け入っても源泉(キリスト)
に届かなければならない。それには、まず
霊的開眼が必要である。
霊的な人とは、霊的思想の豊富な人では
なく、生けるキリストの把握者を言う。
  *******

聖書は66巻(旧約=39、新約=27)
創世記から黙示録まで一貫してキリストの
血が流れている。

youtubeで流れている牧師のメッセージを
上記の観点から聞かれてはいかがでしょう
か。
良いメッセージの例は
 沼津シオン・キリスト教会の牧師の説教
 です。



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