4月7日(金)にイエス様が十字架につけられた日で、4月9日がイースター(復活祭)です。
今日は「限りなき主の栄光を求めて」(チェンバ-ス著)
から抜粋し紹介します。
神の御霊によって新しく生まれるとは、何かを得る為には手放さなければならないものがある。
主が私たちに差し出すように求めておられるのは
私たちの美点でも、正直さでも、努力でもなく、
罪そのものである。主が私たちから取り去る事のできるものは、それだけである。
それでは、私たちの罪と引き換えに、主は何を与えて下さるのだろう。義そのものである。
次に、神の御霊は私たちに、更に捨てるべきものを示される。どの段階ににおいても、自分の権利に対する主張を捨てていくのである。
主がご覧になる目で自分を見て唖然とするのは、
厭わしい肉の罪ではなく、イエス・キリストに逆らう自分の心、という恐るべき高慢の性質だからである。
主の光に照らされて自分を眺めるなら、恥と戦慄
、そして罪の自覚に襲われる他ない。
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聖歌230「十字架のもとぞ」の2番
十字架の上に、われは仰ぐ
我がため悩める 神の御子を
妙に尊き 神の愛よ
底いも知られぬ 人の罪よ
「神はすべての人が救われて、真理を悟るに至る
事を望んでおられる。
神は唯一であり、神と人の仲保者もただ一人である。彼はすべての人のあがないとして、ご自分を
ささげられた。」 (第1テモテ2-4、5)
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、
かえって仕えるためであり、又、多くの人のために、あがないの代価として、自分の命を与えるためなのです。」 (マルコ10-45)
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