聖書と共に

みことばを聞く

聖書は、不思議な書物です。日々に聖書を読んでも、あまり響かない時もあり、逆に手に取る様に響く時もあります。何10年、読み続けても知らなずにいた、み言葉もあります。
1月13日、『岩から出る蜜』蔦田二雄 著に次の様な文がありました。抜粋します。
「日ごとに聖書をひもとく時に、その中で神は何とお語りになるかを聞かなければならない。客観的に神のことばを読む、いわゆる通読するのと、それを味わい、その中からメッセージを頂く事とは違う。聖書を読む時に命が吸収される様にならなければならない。
詩編で「私の目を開いてください。私が、あなたのみ教えの内にある奇しい事に目を留める様にして下さい。」詩編119-18 との祈りを捧げている。み教えの内にある奇しい事、美しい事を見る様でなければならない。
私の経験ですが、マルコ3-34「見よ、これは、我が母、我が兄弟なり」の、みことばは、群衆に語られたイエス様の言葉で、何回も読んだ所で
す。しかし、その時はイエス様が私を指差していっておられる様で、圧倒されました。

コメント一覧

鬼雷
善き哉。
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