ガラテヤ地方の人々に、パウロが福音を宣べ
伝え、彼らはイエス様を受け入れましたが、
後からユダヤ人がきて、律法を行わなければ
ダメだと言って、折角の福音をひっくり返し
てしまいます。
「神は御子の御霊を私達の心に遣わして、
『アバ父よ』と呼ぶようにされた。それなら
あなた方は僕(奴隷)ではなく、神の子である
子ならば、神によって、世嗣ぎである。」
「あなた方は、今、神を知り、むしろ、神に
知られているのに、何で、かの弱く、卑しい
小学に戻って、再び、その僕(奴隷)になろう
とするのか。…私が、あなた方の為に働いた
のは無益になろうとするのか。」とパウロは
嘆く。
「わが幼子よ、あなた方の中にキリストの
形成るまで私は再び、生みの苦しみをする」
後半は、アブラハムの子供(祝福の世嗣ぎ)に
ついて語っている。
アブラハムは創世記12章で
「主は言われた、…私はあなたを祝福し…あな
たは祝福の基となる。」と約束されました。
アブラハム夫妻は高齢で子供がありませんで
した。しかし、神の使いが来て、彼に子供が
与えられると預言します。
そこで二人の子供が与えられます。
一人は奴隷女のハガルから生まれたイシマエ
ルであり、もう一人は正妻ハガルから生まれ
たイサクです。
ここから「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)。
律法と福音の対照が語られている。
①イサクはサラから生まれた。サラは正妻で
あり、自由の女と呼ばれている。これは、
彼女が律法から自由にされている者の象徴で
ある。
サラがイサクを生んだのは、神の約束によ
るものであった。イサクの末裔に、約束に
よって生まれたイエス・キリストがおられる
。
②イシマエルの母親ハガルは奴隷の女である
それは、律法に縛られている者を意味して
いる。彼女は、やがて、荒野へ出ていくが、
そこはシナイ半島(モーセが十戒を受けた所)
であり、モーセに従う律法主義者の事である
パウロの要点は、キリスト者は、神の救いの
約束によって、生まれた者だという事である
次は「エマオの道で」(デニス・キンロー著)
イシュマエルは自分の力によって業を行って
いく人間の代表です。その結果は生産的に見
えますが、彼らのうちに救いはありません。
それに対して、イサクは人間の生涯に働く
神の御業を表しています。イサクは神の
ご性質が、自らの心に注がれるのを受け入れ
た人です
もし、キリストが私の人生に働かれているな
ら私の焦点は主に定められ、主に対して開か
れた心でいる事ができます。
逆に、もし、私達が自分の人生に働きかける
のは自分だけだとすると、自分自身に思いを
集中させる事になり、それは、いつでも
危うい方向へ進んで行きます。